●２月２８日(日) 晴れ
二月も終わろうとしているが、城崎に行ったのは、
もう二週間ほど前になる。
妻は「温泉があるだけで、小さな町よ」と言っていたが、
二人の休みを調整して、一泊旅行に「城崎」を選んだ。
社内旅行で近場の温泉地に行くことは度々あったが、城崎はまだ
行ったことがなく、ずっと昔に、志賀直哉の小説『城の崎にて』で知った
この地をいつか訪れてみたいと思っていた。
志賀直哉が城崎を訪れたのは、1913年（大正2年）のことである。
実はこの年の夏、志賀直哉は『出来事』という小説を書き上げ、夕涼みに
行った帰りに事故にあった。そして、療養のために城崎にやってきたのであるが、
その前後の事情を、後年、次のように語っている。
『出来事』の方はもつと直接な感情――子供が電車に轢かれかけて助かつた
といふ喜び――、或時は一時の驚きと、興奮から喧嘩もするが、結局、
皆子供が死を免れた事を喜んでゐる、その善良さに好意を感じ、
此小説を書く気になつた。
余談になるが、此小説を書き上げ、其晩里見��と芝浦へ涼みに行き、
素人相撲を見て帰途、鉄道線路の側を歩いてゐて、どうした事か私は
省線電車に後からはね飛ばされ、甚い怪我をした。
東京病院に暫く入院し、危い所を助かつた。
電車で助かる事を書き上げた日に自分も電車で怪我をし、しかも幸に
一生を得た。
此偶然を面白く感じた。
此怪我の後の気持を書いたのが、『城の崎にて』である。
『城の崎にて』これも事実ありのままの小説である。
鼠の死、蜂の死、ゐもりの死、皆その時数日間に実際目撃した事だつた。
そしてそれから受けた感じは素直かつ正直に書けたつもりである。
所謂、心境小説といふものでも余裕からうまれた心境ではなかった。
「自らの体験から徹底した観察力で生と死の意味を考え、簡素で
無駄のない文体と適切な描写で無類の名文とされている」(ウイキペディア)
という小説『城の崎にて』は、療養で訪れたのち四年後の大正６年に発表された。
「三週間いて、自分は此処を去った。それからもう三年以上になる。
自分は脊椎カリエスになるだけは助かった」
『城の崎にて』はそのように締めくくられているが、いま「城崎にて」
書いているような写実的で正確な文章も、自己の経験と感性を結晶化するためには、
それほどの時間が必要だった、ということなのだろう。
●日記「
総目次」
ログインしてコメントを確認・投稿する