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2009年10月01日23:51

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■振仮名の歴史(3)

●10月1日(木)  晴れ

 今野真二『振仮名の歴史』によれば、平仮名や片仮名が発明されてから成立した、
 『源氏物語』『枕草子』『土左日記』『竹取物語』などの、いわゆる平安時代の
 「仮名文学」について、
 「これらの作品が平仮名で書かれていたことは疑いないが、そこから
  一歩踏み込んで、平仮名のみで書かれていたかどうか、となると
  これはむずかしい。ただほとんどすべての語が平仮名で書かれていた
  だろうことは予想できる」と言っている。

 原本が現存してない作品は、写本から推測するしかない。
 国会図書館にある写本が紹介されている。

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    ・伊勢物語(室町時代の歌人正徹(1381-1459)による写本の転写)

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    ・源氏物語(慶長年間刊。平仮名活字を使用した本としてももっとも初期のもの)

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    ・枕草子(寛永年間刊。古活字版)


●仮名があれば、漢字はもちろん、「振仮名」なんていらない。
 日本語で、どんなことでも書ける。

 しかし、山口仲美『日本語の歴史』も言うように、「ひらがな文は日本語の
 文章の代表とはならなかった」。

 それは、なぜか。
 まず、ひらがなばかりの文章は読みずらい。
 それに、ひらがなでは漢語を取り込みにくい。
 漢語を全部ひらがな(つまり「振仮名」)で書いた文章を想像すれば
 それは、すぐわかる。


●鎌倉時代に成立した『平家物語』は、和漢混淆文で書かれており、
 平易で流麗な名文として知られている。

 しかし、「和漢混交」ではあっても、その書き方はいろいろあったようだ。
 現存するものから、「富士川合戦」の段章を写してみる。


 ▼さるほどに十月廿三日にもなりぬ。みやう日、源平、ふじかわにて
  矢あはせとぞさだめける。夜に入りて、平家がたよりげんぢのぢんを
  見わたせば、いづ、するがのにんみんどもがいくさにおそれて、
  あるひは野にいり、あるひは山にかくれ、あるひは船にのり、
  海川にうかび、いとなみの火の見えけるを、平家のつわものども、
  あな、おびたヽしの源氏のちんのかヽり火や、けに、野も山も海も川も、
  てきにてありけり。いかにせん、とぞさはぎける。
  (国会図書館蔵・百二十句本)


 ▼さる程に十月廿三日にもなりぬ。あすは源氏富士川にて矢合と
  さためたりけるに、夜に入て、平家の方より源氏の陣を見わたせは、
  伊豆駿河人民百姓等かいくさにおそれて、或は野にいり、山にかくれ、
  或は船にとりのて、海河にうかひ、いとなみの火のみえける平家の
  兵とも、あなおひたヽしの源氏の陣のとを火のおほさよ、けにまことに
  野も山も海も河もみな、かたきてありけり。
  (龍谷大学蔵・覚一本)


 ▼サルホトニ十月廿三日ニモナリヌ。明日源平富士川ニテ矢合ト定リケリ。
  夜ニ入テ、平家方ヨリ源氏ノ陣ヲ見渡セハ、伊豆駿河ノ人民トモガ軍ニ
  恐テ、或ハ野ニ入、山ニ隠レ、或ハ船ニ乗リ、海河ニ浮ヒ、蛍火ノミヘケルヲ、
  平家ノ兵トモ、アナ震ノ源氏ノ陣ノ蜂(カヽリ)火ヤ、実(ケニ)野モ山モ
  海モ河モ敵ニテ有ケリ。イカニセントソ騒ケル。
  (斯道文庫蔵・百二十句本、かっこ書きは振仮名)


●いずれが読みやすいであろうか。
 やはり、漢語は漢字で表記し、適度に漢字が混在している方が
 読み易いのではなかろうか。

 『平家物語』には多くの異本があり、普通は語り本系(平家琵琶の伴奏で語られた詞章)と
 読み本系(読み物として編集)に大別される。

 一般に流布したのは語り本系で、下に示したのは、巻末に「下村時房刊之」とあり、
 「下村本」と称されるもので、慶長年間(1596-1615)〕に刊行された。



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    『平家物語』 富士川

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    上記の引用は、このページの後の6行目から

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    このページの3行目あたりまでに相当する。



 ●日記「総目次


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