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2009年07月24日09:11

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●うみうし独語(417)/■『狂人日記』 (9)

■『狂人日記』 (9)

 ●7月24日(土)  晴れ、 爽やかな朝

  きょうも朝からセミが鳴き、暑い一日を予想させる。
  風が吹き抜ける。涼しい。 白い雲が見える。
  蒸し暑くても、ごろりと横になり、脚を放り投げて
  風にあたっていると、夏はいいなー、と思う。


  昼過ぎて、二時ごろ妻といっしょに家を出る。
  久し振りに阪急に乗り、夙川で降りた。
  八月にある、妻がシャンソン仲間のもう一人と、二人でやるリサイタルの
  チケットを「こみ」さんに渡すためである。


  「こみ」さんは私の小学校四年から六年までの同級生で、彼女とは中学、高校も
  同じだった。


  妻の方は、私の住む処より北西の学区だったので、小中は別の学校で
  高校で一緒になった。




 ●私たちが通った、宮崎のその高校は、入学したころはまだ旧制中学の雰囲気や伝統が
  かすかに残っており、一方で戦後民主主義の高校としての学風もあって、
  バンカラで、自由で、進学校であったが、伸びやかであった。


  クラブ活動も活発で、生徒会活動も私たちが高校一年のときまで、
  ほんとうに「自治会」として機能していた。


  クラブの活動費は、生徒会役員の「総務部」がそれぞれクラブと予算折衝して、
  学校から各部に支出されるクラブ活動費を自主的に決定した。
  教師は一切関与しなかった。



 ●当時は、いろんなクラブがあった。運動系では、サッカー・ラグビー・山岳・
  テニス・卓球・弓道・相撲・陸上・体操・野球、(プールがまだなかったので
  水泳部があったかなかったか、記憶がはっきりしない)まあ、当時の大学に
  ある運動部のクラブはだいたいあった。

  また、文化系も音楽・書道・美術・写真・演劇・文芸・速記・物理・生物・地学・
  化学・ラジオ・ESS・新聞・図書・放送、・・・と、これもいろいろあった。

  総務部に申し出て、任意にクラブを創設することもできた。


 ●学校に、総額いくらの「クラブ活動費」の予算があったのか、もう覚えていないが
  12月から年度末の3月にかけては、国会と同じように「予算委員会」みたいなものが
  生徒の手で開催され、学校の生徒会費の按分を決定するために、活動実績や
  必要性などを勘案し、「総務部」と各クラブの部長・副部長とが話し合う
  「予算折衝」が、放課後、夜遅くまで行われた。



 ●私は新聞部に入部し、一面担当(一般紙の政治)記者だったので、
  その「予算折衝」の模様を逐次、速報で流したり、また、学校新聞に記事を書き、
  宮崎日々新聞という地方新聞社で、月一回発行のために、出稿し、ゲラを校正し、
  印刷できたら学内で、10円だかで売り、新聞には映画館や一般商店の広告を
  とり、一般紙と同じように紙面に掲載し広告収入をクラブ活動費にあたてり
  した。



 ●当時のその高校の学風の一端を知ってもらうために、もう少し生徒(会)活動に
  ついて言えば、
  総務部の役員選挙は、総務部内に「選挙管理委員会」が設けられ、選挙の公示から
  立候補の受付、立会演説会の開催、投票所の設営、開票、当落の決定までの
  一切の事務をとりおこなった。


  選挙期間中は、各候補はたすきがけ、幟を級友がもったりして、休み時間に
  学年のクラスをまわった。 また、授業を中止し、全校生徒が講堂(体育館ができてから
  体育館)で、立会演説会を開催し、その進行をつとめ、本当の選挙管理委員会から
  本物の投票箱を借りてきて、いくつかの学級に投票所を設け、投票日当日は、
  朝一番に全校生徒がそれぞれの選挙区で投票し、そのあと総務部役員、
  選挙管理委員、新聞部部員は、授業免除で、それぞれ開票活動や選挙速報の任に
  あたった。


  投票後、みなは授業が始まっても、私は、開票所と部室を行き来し、
  ガリ版刷りの「選挙速報」を流し、みんなは競馬の予想か、人気かのように
  それを見た。



 ●また、当時、昼休みには、学校内にあった「弦月湖」と呼ばれる大きな池の湖畔で、
  コーラス部、音楽部、総務部などの主催で、歌詞カードを作って
  男女あつまって、歌声喫茶などで歌われていたロシア民謡など歌った。


  また、みな楽しみにしていたのは学期末試験のあとの講堂・体育館で開催される
  「ダンスパーティー」があった。


  そのころは、普段、男の子と女の子が手をつなぐ、というようなことはなかった。
  (学年に一人だけ、ちょっとキザな男がESSか物理部かにいて、そいつだけは
  家政科の女の子と下校時、手をつないでいたかどうかわからないが、
  ともかく一緒に帰っていた)



 ●だが、「ダンスパーティー」のこの日だけは、七夕みたいに特別だった。


  オクラホマ・ミキサーやコロブチカのような、みんなで踊るダンスのほかに、
  一対一で踊るワルツやボックス(4拍子)もあった。男の子は女の子の手をとり、リードし
  女の子はもう一方の手を男の子の肩に、男の子はもう一方の手を女の子の
  腰にまわした。


  いろんな踊りを踊った。男女二人で踊る曲は何度か流れ、最後はやはり
  蛍の光かなんかの二人で踊る曲だったような気がする。

  好きな女の子に、いっしょに踊ろうと誘った。 断られることもあった。
  反対に、女の子が好きな男の子を誘うこともたった。

  壁にもたれて、黙ってじっとして、好きな子が申し込んでくるの待っている子や、
  申し込む勇気のない子もいた。



 ●中間・学期末の試験結果は、自分の氏名以外は空欄になった
  教科別、点数つき順位つきの学年別成績一覧表が全員に配布され、
  成績上位30位か50位かは、模造紙に氏名が書かれて、廊下に貼り出された。


  商業科は「県立宮崎商業高等学校」に分離されたため、入学したときは
  なくなっていたが、家政科と普通科と夜間部を抱える、いっときは九州一の
  マンモス校であり、創立70年か80年になる学校だった。




 ●運動会は、赤団・青団・黄団・・・など六つぐらいの「団」に分かれ、
  駈けっこしたり、騎馬戦したり、買い物競争したり、棒倒しをしたり、
  また、障害物競争をした。

  夜間部は「紫団」だったか、随分年上のオジさんといっしょに
  競ったりした。



  ここでも、私は来場者のインタビューなどして、運動会の閉会式までに、
  5号か6号くらいまでのB5判の「号外」を出した。


  また、運動会では、各クラブから「出し物」の仮装行列があった。
  大衆演劇の一座から、かつらや衣装を借りたり、紙で作った衣装や
  母親が徹夜で作った衣装もあったりして、みな思い思いの格好をして
  グランドを行列して歩いた。 私は、金色夜叉のお宮をやった。

  (運動会も、生徒の自主的な活動だった)



 ●「運動会」は私たちが2年になると廃止され、学校が運営する「体育大会」となり、
  同時に、男子生徒の「下駄履き」も禁止になった。

  校長・教頭を呼んで、体育館で、下駄履き禁止に関する「大衆団交」が行われた。
  おとなしい地方校であるから、のちの「警官導入」みたいなことはなかった。


  この日以降、男子生徒は「ずっく」を履き、これまで土足厳禁だった板の廊下を
  裸足でなく、靴を履いたまま歩いた。

  (この年、文部省の何かの方針が変わったのか、この高校も少しずつ県内一の
  ただの進学高校に変わっていく、その最初の一歩だった)


 


 ●入学時、校舎の多くは兵隊宿舎みたいな木造の、平屋と二階建の古い古い校舎で、
  校舎と校舎の各棟は、裸足で歩く板の間の廊下で、数珠つなぎになったように
  つながった学校だった。


  「こみ」さんと、妻と、私は、そんな学校の高校一年生として、窓からはニセアカシヤの
  花が見える木造二階の教室番号「55」というクラス名の同級生として
  顔を合わせた。


  (クラス名は、教室番号で呼ばれるので、「55」とか「32」とか言われても
   それが何年生なのか、最初わからなかった。けれども、それが、私も高校生になった、
   という新鮮な気分を作りだしていた)



  女の子は薄いクリーム色のブラウスに、紺だったかのスカート、
  男の子は、制服制帽に、裸足の下駄履きだった。



     ・・・・



 ●しかし、夙川の喫茶店で、三人は
  そんな昔の話は全然しなかった。

  高校を出て別れて以降、結婚したり、子供ができたり、
  子供が大きくなったり、この歳になったりしたことを
  話した。


  自分たちの両親の話もした。


  三人とも、今年で六十四歳になる。
  高校一年生の春、というのは「十五の春」か、それからなら
  もう五十年近くたったことになる。

  私は二十四歳の時、妻と結婚した。だから四十年の歳月を共有した。

  「こみ」さんとは、小中高の全部を足しても、九年に満たない時間で、
  それも「級友」としてしか知らない。 しかし、妻と出会う前、
  とくに小学校時代の時間を「こみ」さんと、いっしょに過ごした。


  だから、「こみ」さんのその後の四十年という歳月も、「こみ」さんのことも
  本当はよく知らないはずなのに、幼い頃の彼女を知っている私は
  「こみ」さんのことを、ついつい知っているような気になる。



 ●でも、二時間のおしゃべりだったが、懐古話ではない話を三人でして
  ほんとうに、心から楽しくなる時間を今日は過ごした。




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