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2009年07月19日20:11

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●うみうし独語(412)/■『狂人日記』 (4)

■『狂人日記』 (4)

 ●7月19日(日) 続  曇り 夕刻に小雨か

  さっきベランダに出てみたら、植込みの木々の葉が
  暗がりの中で雨露に光っていた。

  切れかかった蛍光灯が点滅するように
  横尾山と高取山のあいだの南東の空に
  なんの音もなく稲妻が明滅している。

  午後三時ごろから、夕方まで寝ていた。
  居間の座卓に脚を放りなげ、居間と台所を吹き抜ける風に
  身をさらすようにして眠っていた。

  いま、雷鳴が轟きはじめた。
  雨も降り出した。 蒸し蒸しする。
  もっと一気にザーッと降れと、思う。

  雨の少なかった今年の梅雨が明けるのも
  もうすぐだと思う。



 ●さきほどまで、私はある「本」を探していた。
  そんな「本」など、どうでもいい話なのだが、やはり気になる。

  いまの状態に「本」が置かれるようになるまで、私は自分の「本」が
  どこにあるか、大概はわかっていた。 が、今は「本」がどこにあるか
  ほとんどわからない。

  「引き出し式衣装ケース」67個のどこかにある。


    
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 ●だいたいが、この衣裳ケースを60個も購入するあたりから、おかしい。
  また、私の「ビョーキ」がはじまっている。

  「ビョーキ」といえば、「本を買うのはビョーキである」し、こうやって
  本論と関係なく話がどんどん横道にそれていくのも「ビョーキ」である。
  私の日記自体が『狂人日記』みたいなものである。そうでなければ、
  臆面もなく、これまでこんな「日記」を書く筈がない。
  賢明な諸氏はそんな振る舞いはしないものである。


  
 ●ようやく見つけた。

  「Kの二十一歳の誕生日を祝い同本を贈り
   我も又これを求む。 昭和41年5月9日」

  サン・テグジュペリ『星の王子さま』(岩波少年文庫)、その「本」の裏表紙に
  そう書きこみがあった。結婚する前の妻に、自分の持っていた同書を贈り、
  自分用にもう一冊買った「本」だ。


  「本」に書いてあるバラの話や、キツネと話したこと、

    ―――かんじんなことは目に見えない。

    ―――あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思っているのは
        そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ。

  といったことを、彼女に伝えたくて贈ったのだ。



 ●ここでも、「肝心なことは目にはみえない」のであって、私が記憶しているような
  「心で見ないと見えない」という字句はなかった。

  しかし、肝心なことは目で見えなくて、これを心で見るというのは
  これも怖いことである。

  星の王子は、地球に来るまで六つの星に立ち寄っている。
   ・王様の星、・うぬぼれ屋の星、・呑み助の星、
   ・実業家の星、・点灯夫の星、・地理学者の星

  サン・テグジュペリは人間の「典型」の例示としてこれらを挙げているが、
  心で見ると、さまざまの人々がこれらの「典型」の相貌で、心が顔に現れた
  人間として現実に見えてくる。

  「鬼ッー!」と叫ぶ相手の相貌は、現実に「鬼」そのものである。



 ●なんと迂遠なことを書いているかと思う。

  「幻視」などというと、なにか変った経験のように思い、
  自分には、縁もゆかりもないように思う。

  「夢」と「幻視」はどう違うのか。
  昼日中、「現実」と思っている景色は「幻視」ではないのか。
  「幻視」でない、その保証はどこにあるのか。

  みんなが同じように見て、同じように見え感じている。
  そういう暗黙の合意と安心感あり、相互間にトラプルが
  ない場合には、これを「現実」だと思う。


 ●夜、寝るとき、すぐに寝つかないことがある。

  目をつぶると何かが浮かんで見えるような気がする。
  それが何であるか。

  カーテンの端切れ、と思った瞬間、カーテンの端切れになり、
  天井の蛍光灯を思うと、蛍光灯になったりする。

  早く眠りにつこうとして、何も考えないようにする。
  が、点や線や、図形や明るさ、意味のない何かが浮かぶと、
  思った瞬間、それは思ったものになって現われて来る。

  これは「幻視」であろうか。



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