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2009年07月15日22:56

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●うみうし独語(407)/■「会得」という記憶

■「会得」という記憶

 ●7月15日(水) 曇り、または晴れ 真夏日?

  昼休み、喫茶店を出て交差点に向かう。
  熱風のような風が、地面から吹き上げて来る。

  湿度もあるにはあるが、信号が変わるのを待ちながら
  風の中に、風の涼しさがあることに気づく。 そのことを肌が感じる。

  おやっと思う。 私がそんなことを感じるなんて!

  真夏日の日中の陽射しに、蒸し暑さばかりではなく
  風の涼がある、とは。 これは考えたことではない。

  一色の感情に塗りこめられないことは、いいことだ。

  そして、そのことに頭で考えて気づくより、そのように
  感じたことが、もっと私をうれしくさせた。


  
 ●「あんた、この靴下、洗うの? 洗うのだったら洗濯場に持っていって!」

  「これは? このランニングも洗うの? 自分でちゃんと、洗うものは
   出してちょうだい」

  「誰が洗うと思っているの! ほんとに何遍言っても、わからないんだから・・。
   あんた、学習能力、全然ないの?」


  靴下は、もう一日履けるかもしれない、と思っている。
  ランニングは、汗がひいたら、また着て、風呂に入るときに
  洗濯機のところに出そうと思っている。

  私に算段がないことはない、一応は考えているのだ。
  けれど、そう考えていて、靴下は脱いだところに脱いだまま、そのままにして
  次の日は、もう臭いかな、と思って、別のを履いたりする。

  ランニングだって、椅子にひっかけたまま、風呂に入ったりする。



 ●私は妻に叱られながら、妻の言うことはもっともだし、
  私は私で、私の方もこれも、まあ、もっともだとまでは言わないが、こんなものだ
  と思っている。

  だから、自分の行動を改める意志が、あまりないような感じだ。

  ふりかえってみると、最近、私は反省ということをあんまりしなく
  なったような気がする。

  
  妻が「あんた、成長したねー。暖簾に腕押し、何言っても怒らないし、
  上手にワタシを使う。ワタシより上手(うわて)でワタシはときどき
  おちょくられているような気になるわ」と言う。



 ●「学習能力」というのは、基本的には過去の記憶を保持することのようであるが、
  反省しないサルでも「学習能力」はある。

  それは「知識」という記憶方法でなく、「会得」という記憶方法で行われる。
  (と、私は思っている)


  人間の行動は「知識」に大きく左右される。
  知っていると知らないでは大違い、というヤツである。

  世の大半は、この「知識」というもので構成されているのかもしれない。

  しかし、残念なことに、この「知識」というヤツは「よく身につかない」ところに
  その本質があるようだ。

  
 ●「体が覚える」というが、あれも実際は「体」が覚えるのではなく、
  知識と同じように「脳」が覚えるらしい。

  「覚える」というのは記憶するということで、「脳」は過去の記憶を
  「脳」自身を変化させながら、現在へ保持する。


  それにしても不思議なのは「自分」という記憶である。


  「ワタシは誰〜れ、ココはどこ?」というセリフがあるが、
  もし、ワタシという記憶を失ったら、人はどうなるのだろう、
  と、ふと思う。



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