■ある「解説」
●7月8日(水) 曇り、ときどき陽射し、また一時少雨
朝、ベージュの傘をもっていって置き傘にすることにした。
カバンには「本」を2冊入れた。
武田泰淳『目まいのする散歩』を読み終わったので
次の「本」をどれにするか、買ってあった「本」をもっていった。
また、きょうは
バナナ3分の1切れ、一口サイズのハムサンド1切れ、ミニトマト2個、
レタス手のひら4分の1をおかず用の弁当箱に入れ、紙パックの野菜ジュースも
持っていった。
昼、それを完食して、傘をもって外に出たが雨は降らなかった。
喫茶店に向かう道路は蒸し蒸しして、雨が降らなくても梅雨だった。
●「本」の「解説」には、こんなことが書いてあった。
昭和六十ニ年から昭和六十三年にかけての時期に、私は、
北関東の電機工場で配線工として働いていた。
・・・・
工場では、基本給だけではとても生活を成り立たせることはできず、
早朝から深夜に及ぶ残業が月百五十時間を超えることもある日々の中では
物が考えられなくなり、 ・・・・ シモーヌ・ヴェイユが、
『労働と人生についての省察』で、「ここでは、むしろ、考えないために
給料が支払われているのです」と述べているごとき日々だった。
それでも、工場での短い昼休みには、早めに社員食堂で昼飯を済ませると、
体育館ほどのだだっ広いコンクリートの床の隅に毛布を敷いて寝そべり、
辛うじて文芸誌を読む習慣だけは絶やさなかった。
・・・・
そうした環境での読書は、自ずから作品も厳しく選別される。
今を忘れさせてくれるほどのロマンでもあったなら別だろうが、
多くの作り物の小説はかえって貧弱な装いをしており、心を充たして
くれるには遠かった。
その中で、読むに値すると思えたのは、『ゴッホ書簡集』、シモーヌ・
ヴェイユの『工場日記』、エリック・ホッファーの『波止場日記』などといった
労働の日々を綴った日記だった。
●「今を忘れさせてくれるほどのロマンでもあったなら別だろうが、
多くの作り物の小説はかえって貧弱な装いをしており、心を充たして
くれるには遠かった」
読みながら、この「解説」を書いている人はなんと私と似ていることかと思った。
『ゴッホ書簡集』は読んでいないが、鬱々とした日々、私もヴェイユやホッファーを
読んだ。
読めば読むほど、暗くなるような「本」を読んだ。
●「多くの作り物の小説」とともに、自分では信じていないくせに、滔々と
自信たっぷりに説く大人の言説にも幻滅し、私は読む気力さえ喪失して、
「本」がつまらなく見えた。
しかし、そこから抜け出すのにも「本」しかなくて、「本」を探した。
古い「日記」を検索したら、そんなことを
・
2006年03月26日 朧霞抄 ( 9)/何をかくそう
・
2006年10月02日 うみうし独語(17)/ただ寝ていた
書いていた。
●「解説」はさらに、昭和四年、二十七歳の小林秀雄が『様々なる意匠』で書いた
「あらゆる世にあらゆる場所に通ずる真実を語らうと希ったのではない、
ただ個々の真実を出来るだけ完全に語らうと希っただけである」という文章を引用し、
この人は、小林秀雄の次のような言葉を続ける。
人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれてくる。
彼は科学者にもなれたらう、軍人にもなれたらう、小説家にも
なれたらう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。
これは驚く可き事実である。この事実を換言すれば、人は様々な真実を
発見する事は出来るが、発見した真実をすべて所有することは出来ない、
或る人の大脳皮質には種々の真実が観念として棲息するであらうが、
彼の全身を血球と共に循る真実は唯一あるのみだといふ事である。
●「自分」とは何であるか。
私は自分自身を振り返るとき、このようにしてしか、生きてこれなかった「自分」と
いうものを発見した。
生まれおちた場所や時代、そして持って生れたものとその環境。
いくらでも生き方はあったであろうが、しかしそれでもなお、こうとしか
生きられなかったものがあるとすれば、それを全面的に生きることが「個性」であり、
また「運命」であるとも思う。
小林秀雄を、私は多くの人がいうほどに好きではない。
小林秀雄は、「自分という生きた存在にとってどうしても否定できない真実の
在り方、これを宿命と呼んだ」。 そして、「血球と共に循る一真実とは
その人の宿命の異名である」と言った。
●私の感慨とも大差はない。言い方もうまい。
しかし問題は、その先である。
この真実を誰が生きるか、ということだ。
私が小林秀雄をあまり好きでないのは、彼は真実をいって真実を生きていたのだろうか、
と、ふと思うからだ。
●ところで、この「本」とは色川武大『狂人日記』で、上に引用した文章はその「解説」を
書いた佐伯一麦のものである。
そして佐伯一麦はこの「本」について、さらにこんな風に言う。
思えば、色川武大は、処女作『黒い布』から、最晩年の作『狂人日記』まで、
自分が自分であること、自分が自分以外のものにはなれなかったという
不合理と闘い、それを独特の認識で受け容れるにいたるということを、
実に徹底して描き続けてきた。
死を前にした入院中の小林秀雄は、色川武大の短編代表作『百』を
絶賛したという。
・・・・
晩年の小林秀雄が、色川武大の文学に、そうした(『様々なる意匠』にいう)
「宿命」の表現を見ていたことは確かなように思われる。
●小林秀雄がどんなに絶賛したか、それは私には関係ない。
佐伯一麦が、『ゴッホ書簡集』とヴェイユ『工場日記』とホッファー『波止場日記』の
ほか、唯一小説では色川武大『狂人日記』が、「その時期」読むに耐える「本」であり、
この四つの書さえあれば自分の一生には充分だ、と思い詰めていたということ。
そしてミクシイの私の敬愛するある人が、この「本」を大切な「本」にあげて
いること。
そのことで私は、昼休みには、次にこの「本」を、ぼちぼち読むことに決めた。
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