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2009年07月06日19:20

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●うみうし独語(398)/■夢からの散歩

■夢からの散歩

 ●7月6日(月)  曇り、ときどき晴れ

  けさ、自分の唇が動くような感じと
  なにか声のようなもので目が覚めた。

  自分の寝言であった。
  
  妻の寝言はこれまで何回か聞いているし、
  それで目が覚めたことはある。

  でも、自分の寝言で目が覚めた経験は
  すぐには思い出せない。あったかもしれないが、
  今日のは特別だった。

  唇が動き、声を出そうとている自分がわった。


 ●「大人のひとを呼び捨てにしちゃあいかん!」と
  近所の子供に言っていた。


  悲鳴をあげるとか、助けを求めるとかなら、寝言になる
  というのは理解できる。

  また、私が激しく怒るとか、ののしるとか、でもそうなるかもしれない。
  しかし、諭すように言ったことばが、唇を動かさせていた。

  不思議な感触が残った。



 ●『目まいのする散歩』には、実際に目まいを伴いながらする散歩もあれば、
  生まれ、生きていることが「散歩」であったり、あれこれ思い出したり、
  考えたりするのも「散歩」であったり、また何何についてというべきところを
  「何々散歩」と言ったりしている。


  だから、どんなことでも「散歩」になり、「散歩」は時空を超えることができる。
  これは、「夢」が時空を超えているのによく似ている。

  
 ●「夢」は過去の経験や見聞が材料になったり、未来への空想や願望を素材としたり、
  また、現実の切迫や緊要が基材になったりする。

  そして、それらの断片は因果関係や事実や規範や、また物語の起承転結からも
  自由で、何の脈絡も関係性もなく立ち現われて来る。

  
  だから「夢」というのは、最大級の「散歩」のようである。

  井上陽水の『夢の中へ』ではないが、もし「夢の中への散歩」でもしようものなら、
  私たちは、どこにいってしまうのだろうと、急に不安になってくる。


 ●では、「夢からの散歩」というのはどうだろうか。

  「夢」が露出してきて「散歩」をはじめる。

  そんなことを思いついたのは、きょうの「寝言」であった。

  「夢」が現実の中で散歩している・・・!


  「トラウマ」という言葉がどんな意味かよく知らないし、
  「イメージトレーニング」というのも、その実態を知らない。

  しかし、「夢の中への散歩」も「夢からの散歩」も
  ともに不気味なところがある。



 ●私は「日記」にいろいろ自分のことを書いたりしたが、記憶がはっきりしない
  ことが多い。

  「過去」というものは今はもう消えてないものであって
  現在に痕跡としてあるにはあるのだろうが、それとてはっきりしない。

  それで、「過去」とか「記憶」とか「事実」とかについて少し書きはじめたが
  自分でもよくわからないことだからやめた。

  
  まあ、簡単言えば、「過去」と事実論争をしない「記憶」のことを書こうと
  思ったりした、ということ。



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