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2009年07月04日21:06

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●うみうし独語(396)/■観念した男の散歩

■観念した男の散歩

 ●7月4日(土)  曇り

  どんぶり一杯のとろろ月見そばを
  3回にわけて食べる。

  スイカを食べる。
  焼肉と野菜炒めを少し食べる。

  食べるのは私の仕事である。
  作ってくれるのは妻である。



  きょうは一日、どんよりした天気だった。



 ●男は散歩に出る。
  医者に酒をとめられているが、酒を飲むと
  ついふらふらと外に出たくなる。

  外に出る用事はなんにもないし、
  リハビリ目的か、というと
  それもそんなに目的ではない。

  どちらかと言えば
  「無理がしたくなる」
  というところか。

  多少の努力感を伴うが
  「目まい」は起こらない。
  男は目まいを警戒しながら
  散歩に出る。


 ●『目まいのする散歩』は、そんな男の話である。

  散歩は、ときに目まいを伴う。
  疲れて坐る。やがて立ち上がろうとする。
  目まいがくる。
  「やっぱり思ったとおりだ。
   そんなにうまくいくはずがない」
  と思う。

  また、坐り
  死んでいった知人の死に方を思い出し
  自分には、どんな死に方がふさわしいか
  考えてみたりする。

  すると「恍惚死」という言葉が浮かぶ。
  ボケて死ぬこと、これならば楽だろうと思う。
  しかし、なんぼなんでも、こんな自分に安楽な死が
  遂げられるとは思えない。

  親しくしている人が、男に
  「武田さんはきっと死ぬときには、あわてず
   騒がず死ぬでしょうな」
  と真剣に言った。
  男は、あわてて
  「いや、とんでもない。
   僕は必ずじたばたして死ぬにきまっているよ」
  と答える。

  男は終戦前、三十歳をちょっと越したとき
  「司馬遷は生き恥さらした男である」
  と書いた。


 ●散歩には目まいが伴う。

  しかし、坐ってやり過ごしていると
  「すべてのことは、たいがい無事にすむものだ」
  という、いつも通りの結論に達する。

  そして、散歩というものが
  自分にとって容易ならざる意味をもってきたことに
  気づく。

  散歩という意味を広く解すれば、
  人間の運命も生まれたときから、
  あらかじめ定められた散歩のようであるし、
  地球のどこかに生まれ住むからには、
  あらかた行動範囲は限定されている。

  そんなことをぼんやり考えてみて
  男は、夢の中に散歩でもするかのように
  場所はあっちこっち、過去の時間もいりみだれ
  自在に、散歩をはじめる。


 ●これは、散歩談義や散歩随筆ではない。
  また、老境を語る心境小説、エッセイの類でもない。
  
  まして、回顧録や過去への述懐でもない。

  しょうがなく言ってみれば、観念した男の
  いまを、くらくらしながら歩いている
  散歩の記録と言うことになるのだろう。



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