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2006年04月12日02:14

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●読了/■「まともな男」補遺

■「まともな男」補遺

 ●きょうも仕事が終わって、喫茶店に寄る。
  今年最初のアイス・コーヒーを注文する。

  読みきってもいないのに、
  「里中哲彦「まともな男になりたい」/ちくま新書592 」を
  推薦して、義務感に駆られて残りを読む。

  読み終えて、書いたことを大きく修正しないでいいので
  ホッとする。
  勘は当たっていた。

  また、なぜ推すかについてはもう書いたように
  論じている対象が、論じるに値する対象であり、
  かつ、論者の意見に対して読み手が、そのひとつひとつに
  自分の意見を対置できる、
  その点にこそ、この本のもつ意義がある。

  だから、異見・反論、筆者に賛同しかねるところがあっても
  それは別段かまわない。

  (「序章」や「第1章」の論の進め方に、私は反対である)
  

 ●でも、読み終えて、ひとつ気になることがあった。
  それは「福田恆存」の扱いだ。

  第4章「俗物性を手なずける」でも、また
  第6章「平衡感覚を生きる」でも、著者・里中哲彦は
  福田恆存を引き、福田ほどこれをよく知っている者はいない
  という、その「持ち上げ方」が少し気になる。


  これと同じような感じを抱くのは、他の著者の本で
  「司馬遼太郎」や「藤沢周平」「池波正太郎」などに捧げられる
  賛辞のときにも感じた。

  これもヘンな言い方だが、「大政翼賛会」的賛辞のような
  感じを、私のまったく個人的な感じ方からは受ける。

  何かに寄り掛ったような感じがするのだ。

  そのことが気になった。



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