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2006年04月10日00:07

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●宣伝文/■推す理由

■推す理由

 ●以下、帯、あとがき、ぬきがき、などからどんな「本」か
  里中哲彦「まともな男になりたい」/ちくま新書
  を紹介する。

  まず、帯から。

   英雄やカリスマではない。
   ふと見渡せば、まわりは「自分様」ばかり。
   ふつうのまじめを、今ふたたび取り戻そう。

  次は表紙から。

   ・・なぜ「まとも」なのか。理由は簡単である。「まとも」に
   ならなければ、人生はもっとしんどいものになるとの予感が
   あるからである。
   ・・「まとも」になること以外に、この不全感、欠損感から
   逃れる方途がないとしたら、たとえ周囲から何といわれようと、
   それを目指すほかはないではないか。
   (これは「本文」にもある。その「ぬきがき」である)



 ●表紙うら、にはこうある。

   近年、「まじめ」を馬鹿にした面白主義が目立ち、一人前や
   覚悟といった言葉が死語になりつつある。なかでも男に、
   その傾向が強いのではないだろうか。まじめに仕事をこなし、
   社会の行く末を案じ、おのれの役割と存在価値を顧みる人間、
   つまり、「まともな人」はもはや存在しえないのか。
   いま一度、ふつうでまともな大人の男になるための規範と
   教養を考える、これはその渾身の一冊である。




 ●異論は多々ある。しかし、どんな類の本で、どんな方向に議論を
  導いているかが、わかっていただけると思う。

  そして、私がもっとも関心を抱いたのが、「まとも」になるために
  何が必要で、何が欠けているのか、彼が挙げた五つの要素である。

  彼は、それを五章に分けて論じており、つぎのような要素が
  挙げられている。


  ・「みっともない」(第1章)

    未熟であったり、傲慢であったり、公共の場でさらす
    自身の姿についての感想のことである。


  ・「教養を身につける」(第2章)

    まず、教養とは何か、それを自分で把握・定義して、
    それを修養すること。読み書き算盤のような最低限の
    基礎修養とは何だろう。学歴や知識やあれこれの造詣、
    薀蓄でなく、たとえば「礼儀正しい」というような身に
    ついた立ち居振る舞いに至る事柄のことである。


  ・「恥を知る」(第3章)

    これは、「みっともない」と対になる価値だろう。
    「みっともない」が外に対してなら、「恥ずかしい」は
    内に対しての感情だ。自分は何を恥ずかしいと感じるか。
    他人が見ていようがいまいが、自分に対しての感情だ。
    だから、これは「矜持」「誇」といってもいい。
    「教養が邪魔をして・・」といえば、古風なイヤミに
    聞こえるが、教養は「恥」とも「みっともなさ」とも
    深くかかわっており、無教養とはその謂である。


  ・「俗物性」(第4章)

    世に経れば、みな俗物性とは一定染むものである。
    俗の世に染まない、ということはない。その上で
    何を「俗物」として遠ざけるかだ。


  ・「寡欲の心をもつ」(第5章)

    欲しても得られないものがあるように、あきらめや
    ほどほどに足ることを知る勇気の必要性についてである。
    己が自身、何を欲しているか、心静かに耳をすまして
    聞いてみること。


  ・「平衡感覚のこと」(第6章)

    平衡とはなんだろう。「幸・不幸」その間に「しあわせ」は
    あるのかもしれない。あるいは、身を保つことかも知れない。
    右に左に揺れ動く、この間に自らの平衡を保つこと。
    成功は幸福を意味しない、不成功もまた不幸を意味しない。


  (ここは、大胆にこの「本」の章立てを私のことばで要約)



 ●そして、「あとがき」にいう。

   本を読んで知っているということは、恥ずかしいことである。
   そして、それを人に教えるのはもっと恥ずかしいことである。

   血肉になっていない知識は、それは知らないといっしょである。

   という田辺聖子のことばを引いている。



 ●彼・里中哲彦さんは、いま、「まともな男になる」と覚悟を
  決めたのである。

  そうしなければ、事態はもっと悪くなると予感したのだ。

  そして、「自分を変えていく」ことに対して、ひるまない生き方を
  しようと決意したのだ。


  そして、こう書く。


   小生も旅支度(じたく)をしよう。

   この<旅>は、「これにしかなれなかった自分」を
   「こうありたい自分」にするための、ひとり<旅>だ。

   とは、言ってみたものの、やはり不安は残る。
   果たして、この努力はほんとうに報われるのか・・。


    
 ●1ページに10個以上も、私の感じからして、異論や疑問があり
  具体的なことについては、必ずしも彼と私は一致しない。

  しかし、ひとつひとつに自分の考えを対置できるという意味で
  この「本」はテキスト足りうる。


 ●私が本書を推す理由は、大体そのようなものであるが、
  私が同情を禁じえず、また声援を送りたくなるのは、
  彼が一周回遅れで、いま走っており、まだ走らねばならぬ
  ことにある。
 
  私はもし仮に、この私にも「こうありたい自分」というのが
  あったとして、そして、いま「これにしかなれなかった自分」に
  向き合っている、ということであっても、「もう走らなくていい」
  という一点において、私は彼にリードしているからである。



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