mixiユーザー(id:1040600)

2006年04月09日02:02

43 view

●「男」問題/■ある「マイミク」さんへ

■ある「マイミク」さんへ

 ●きのう、日記「欲張り/ほどほどに」で、自分のことを

   所詮「エエ格好しい」なのだ。

  と書いたら、「かこば〜ば」さんから、正しく添削したコメントが
  返ってきた。


    「所詮」の次に「男は」を入れて
    所詮、男は「エエ格好しい」なのだ。


  これは「男」の性(さが)であり、「女」の性(せい)を
  生きる私たち「女」とは、また違う、という含意であった。

  正鵠を射た指摘。まさに、「女」の眼である、と思った。



 ●ところで、きょうは、買ってきた「本」
  里中哲彦「まともな男になりたい」のことを書くつもりでいた。


  本書、里中哲彦「まともな男になりたい」/ちくま新書
  も、いわゆる「男」問題の本である。


  「女」にも問題は多いが、「男」の問題は昨今はトレンドと
  なってる。

  ちくま新書だけでも、
   ・勢古浩爾「こういう男になりたい」
   ・小谷野敦「もてない男」
   ・ 〃  「帰ってきたもてない男」
   ・諸富祥彦「さみしい男」
   ・森岡正博「感じない男」
   ・本田透「萌える男」
  などがある。(この本のカバー裏に「広告」掲載)



 ●そして、目を広げてあたりを見渡すと、どんな状況にあるか、
  たとえば、勢古浩爾の場合、前掲書のほか、

   ・勢古浩爾「自分をつくるための読書術」/ちくま新書
   ・勢古浩爾「思想なんかいらない生活」/ちくま新書
   ・勢古浩爾「ぶざまな人生」/洋泉社 新書y
   ・勢古浩爾「わたしを認めよ!」/洋泉社 新書y
   ・勢古浩爾「まれに見るバカ」/洋泉社 新書y
   ・勢古浩爾「自分様と馬の骨」/三五館
   ・勢古浩爾「「自分の力」を信じる思想」/PHP新書

  などがあり、勢古が何を見ているかがわかる。
 
  これは、何も勢古だけが、特別に感じ、特別に見ている世界では
  ない。

  いま、大方、世間はこうなっている。

   「自分さがし」問題
   「教養」問題
   「大人」問題
   「人生」問題

  そして、年齢別にすれば
 
   「世代(団塊)」問題

  性別にすれば、

   ・岩月謙司「女は男のどこを見ているか」/ちくま新書
   ・ 〃  「男は女のどこを見ているか」/ちくま新書
    (下のタイトルは、上より間が抜けているが・・)
   ・小浜逸郎+佐藤幹夫「中年男に恋はできるか」
      ・
      ・

  などがある。


 ●あぁ、話が始まらない。

  もともとは、

   ●「男」問題/■里中哲彦「まともな男になりたい」
 
  というタイトルで書き始めようとしたのだが、そこまで行かない。


  ただ、付言しておけば

  「男」問題を、気安く一般化して、男女同一の「人」の問題の
  ように、男は勘違いしやすい。


  あの有名な宮沢賢治の「詩」、

   雨ニモマケズ
   風ニモマケズ

     ・
     ・
     ・

   サウイウモノニ
   ワタシハ
   ナリタイ

  を、「サウイウモノ」、つまり「人」でなく「男」と読めば、
  これは、ひとつの(宮沢賢治の)「男」問題として見ることも
  できるのだ。


 ●このことは、「人生」問題に、それぞれの形容詞を冠して、

   ・「男の人生」
   ・「女の人生」

  と書いたら、その差は歴然とする。



  「かこば〜ば」さん、コメントありがとう。
  ご指摘を受けて考えたことです。


 ●「男」問題/■里中哲彦「まともな男になりたい」は、
  また、つぎに・・・。


■案内
  ・日記/「Home」案内


0 5

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する