■ある「マイミク」さんへ
●きのう、日記「欲張り/ほどほどに」で、自分のことを
所詮「エエ格好しい」なのだ。
と書いたら、「かこば〜ば」さんから、正しく添削したコメントが
返ってきた。
「所詮」の次に「男は」を入れて
所詮、男は「エエ格好しい」なのだ。
これは「男」の性(さが)であり、「女」の性(せい)を
生きる私たち「女」とは、また違う、という含意であった。
正鵠を射た指摘。まさに、「女」の眼である、と思った。
●ところで、きょうは、買ってきた「本」
里中哲彦「まともな男になりたい」のことを書くつもりでいた。
本書、里中哲彦「まともな男になりたい」/ちくま新書
も、いわゆる「男」問題の本である。
「女」にも問題は多いが、「男」の問題は昨今はトレンドと
なってる。
ちくま新書だけでも、
・勢古浩爾「こういう男になりたい」
・小谷野敦「もてない男」
・ 〃 「帰ってきたもてない男」
・諸富祥彦「さみしい男」
・森岡正博「感じない男」
・本田透「萌える男」
などがある。(この本のカバー裏に「広告」掲載)
●そして、目を広げてあたりを見渡すと、どんな状況にあるか、
たとえば、勢古浩爾の場合、前掲書のほか、
・勢古浩爾「自分をつくるための読書術」/ちくま新書
・勢古浩爾「思想なんかいらない生活」/ちくま新書
・勢古浩爾「ぶざまな人生」/洋泉社 新書y
・勢古浩爾「わたしを認めよ!」/洋泉社 新書y
・勢古浩爾「まれに見るバカ」/洋泉社 新書y
・勢古浩爾「自分様と馬の骨」/三五館
・勢古浩爾「「自分の力」を信じる思想」/PHP新書
などがあり、勢古が何を見ているかがわかる。
これは、何も勢古だけが、特別に感じ、特別に見ている世界では
ない。
いま、大方、世間はこうなっている。
「自分さがし」問題
「教養」問題
「大人」問題
「人生」問題
そして、年齢別にすれば
「世代(団塊)」問題
性別にすれば、
・岩月謙司「女は男のどこを見ているか」/ちくま新書
・ 〃 「男は女のどこを見ているか」/ちくま新書
(下のタイトルは、上より間が抜けているが・・)
・小浜逸郎+佐藤幹夫「中年男に恋はできるか」
・
・
などがある。
●あぁ、話が始まらない。
もともとは、
●「男」問題/■里中哲彦「まともな男になりたい」
というタイトルで書き始めようとしたのだが、そこまで行かない。
ただ、付言しておけば
「男」問題を、気安く一般化して、男女同一の「人」の問題の
ように、男は勘違いしやすい。
あの有名な宮沢賢治の「詩」、
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
・
・
・
サウイウモノニ
ワタシハ
ナリタイ
を、「サウイウモノ」、つまり「人」でなく「男」と読めば、
これは、ひとつの(宮沢賢治の)「男」問題として見ることも
できるのだ。
●このことは、「人生」問題に、それぞれの形容詞を冠して、
・「男の人生」
・「女の人生」
と書いたら、その差は歴然とする。
「かこば〜ば」さん、コメントありがとう。
ご指摘を受けて考えたことです。
●「男」問題/■里中哲彦「まともな男になりたい」は、
また、つぎに・・・。
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