■用・不用 (4)
●椎名麟三「深夜の酒宴」を読んでいるときも、あれは
「四畳半生活」のことを想っていたのだと想う。
たとえば、運河近くの安アパート。裸電球がついている。
雨が降れば、トタンかスレートかで葺かれた屋根に雨があたる。
雨は、四畳半生活に降るように、屋根にあたって
音をたてる。
ざんざん ざかざか
ざんざか ざかざん
山田今次の詩とかさなって、ガランとした部屋で雨音を聞いている。
●のちに題名もズバリ「簡単な生活」という評論を書いた秋山駿。
彼の「無用者の告発」を読んだのも、あれも「四畳半生活」に
憧れいてたからだろう。
「四畳半」、それはひとつの「空間」。私の魂の居場所。
「四畳半」は私の内面。生活のすべて。
あとは何もいらない。
あるのは、「四畳半」という空間に転がっている
私の魂、内面だけ。
そんな感じで、読んでいた。
●だから、引越しも簡単だ。
風呂敷につつんだコップと歯磨きと
二、三の道具。
これを棒の先にくくりつけ、肩にかついで歩くだけ。
西江雅之「花のある遠景」は、そう読んだ。
「四畳半」の狭い空間から解放し、身ひとつ、
魂は、手ぶらでサハラの砂漠を歩くようだった。
ここ日本では、未練がましく、湿っぽく
森繁久弥が唄っている。
こんな恋しいこの土地捨てて
どこへ行くだろあの人は
どこへ行くのかわしゃ知らないが
荷物片手に傘さげて
わしも行こかなこの土地捨てて
荷物片手に傘さげて
(野口雨情/作詞)
●そして、しっかりと現実に掴まれ、見るのは夢ばかり。
観念だけが飛翔する。
あくせくと、日々を暮らす。
生活も物も捨てることができずに・・・。
「変わる」というのは大変なことだ。
「捨てる」というのも並大抵のことではない。
でも、憧れはいまもある。
●吉本隆明の本に「ほんとうの考え・うその考え」というのがある。
(「正しい思想・誤った思想」でないところがいい)
人は、自分の物語を自分で書いて、それをなぞって歩くような
ところがある。
俗には、「イメージ・トレーニング」や「自己暗示」というのが
あるように、人生には、その人の「すでに書かれた物語」が
あるようだ。
蟹は自分の甲羅に合わせて穴を掘る。
なのに、わざわざ「不幸になりたがる」こともある。
それが、「うその考え」と私には思える。
●「四畳半」、そして「捨てる」。
これは私の夢だ。
茅辺かのうや、
シモーヌ・ベイユ。
エリック・ホッファーや
良寛。
捨てて、生活や生き方をまるごと変えた人もいる。
ヤバイ私も考える。
しかし、考えてみても、考えひとつで
変わるものもあれば、変わらぬものもある。
もう若くもないが、いまだ「憧れ」を捨てきれず
かと言って、飛び出すこともままならず・・・。
●「愚かなる若者よ!
君の腕は短く、君が慕う天は遠し、
かの星々は、かの高きところに
金の鋲もて固く留められ居れり。
憧れもむなし。嘆息もむなし。
眠れ、ただ眠れ、何ものかそれに優らん」
(ハイネ詩集「夜の船室にて」から)
そして、
夢は枯野を駆けめぐる
また、孫の口ぶりをまねて言う。
「まぁ、いいか」
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