mixiユーザー(id:1040600)

2006年04月05日23:55

122 view

●捨てる/■用・不用 (1)

■用・不用(1)

 ●「引越しほどめんどうでおっくうなものはありません。
   日常の流れをいったん止めなければなりません。
  
   無数の小道具を擁して毎日過ごしていたことを引越しの度に
   知らされます。

   どれひとつ余さず、何個かの荷物にまとめてしまわなければ
   ならぬと考えただけで、いつも頭の中は混乱します。

   形は様々だし、こわれものがある、
   もう終わったと思うと台所用品が残ってはみだしてしまう、
   柄の長い箒、使えそうなボロ、古新聞、いつか利用しようと
   思いながら思い出しもしなかった道具や布地が
   貴重品のように押入れの奥、戸棚の隅から出て来るのをみると、
   ガラクタの中に埋まって溜息をついてしまいます。

   どうして、こうも下らぬものばかりをためこんでいたのだろう
   と慨嘆するのです。


   思い切って捨てたり、人にあげたりして減らすと、
   そういうものに限って、後で「あればよかった」と
   思ってしまいます。
   未練のあるものだけを思い出して残念がるという、
   よくある自分勝手な執着にすぎぬのでしょう。

   しかし、なくして取返しがつかぬほど残念なものというのは
   意外と少ないものです。
   それは、「物」の限界でしょう。

   めんどうだとはいっても、私の場合、まず三日もかかれば
   一応のかたはついてしまいます。
   いくら多くても限られた数量ですから
   あちこち動かしたりまとめたり、詰め込んだりしていれば
   確実に何個かの引越荷物が出来上ります。

    (中略)


   今までに何度も引越しをしましたが、荷物の量や移転先の距離や
   目的は様々でした。

   転勤で引越したことは一度もなく、借りた住居を周囲の事情から
   追い立てられたこともなく、
   どれも全く私的なもの、或いは自ら望んだものばかりでしたから
   引越しはいつも私一人、以前には二人でしました。

   そして、煩わしさと同時に充実感もあって、
   小さなもの、記憶から消えているものなどをみつけて、
   それまでに生きて来た道筋をところどころ
   たしかめながら総ざらえする機会ともなっていました」



 ●「一番遠いのは東京から北海道網走市に移った時で
   距離的に遠いというだけでなく、それまでの宿替えとは
   全く異なったものでした。
   小さくてもその時点までに積み上げて来たすべてを
   根底から崩し変えようと意図したものであり、
   どこまで徹底してやり抜けるかを自らに課する思いの引越しでした。


   観念的な過去との断絶や、ことばの上での変革は
   生活の形を変えなくても
   いつでも出来るものです。

   しかし、ふたりがひとりになり、職業を変え、住む土地を変え、
   具体的に自分を動かすことによって能う限りの自己変革を
   図ろうと思ったのです。


   距離は出来る限り遠く、生活は可能な限り下降させることに
   決めました。
   そのために世帯道具を最低限にきりつめることにしました。

   とはいえもともと家財道具や高価なものをためこむ生活では
   なかったのですが、この時ほど思い切って多くのものを
   捨てたことはありません。


   日記帳、買物メモ、写真、ネガ、手紙などそれまでの
   日常生活の全部、
   生きて来た道筋の細々とした思いのこめられている記録類の
   ほとんどすべて、
   きれいな国内外のパンフレットのように大切にしまっておくだけで
   見なおすことのほとんどなかったものなどを、
   野原に積み上げて石油をかけて燃やしました。


   頭の中で無いと思うことと、
   目の前で炎をあげて灰になるのを
   みることの間には大きな断絶があります。


   ボロや古本、古雑誌、古道具までも
   燃えるものは燃やし、
   思い切って屑屋に売り払いました。

   一度読んでしまったら恐らくくりかえし読むことはないような
   書物は、目ぼしいものを人にとってもらい
   殆ど全部捨てるか売るかしました。

   小説の類が大半を占めていましたが、
   文学作品を読むとか作品のあれこを考えたり選択したり
   という心境からは、はるかに遠い緊迫状態を
   そのころずっと続けていたからです。


   今もそれは尾を引いています。
   これからの生活に必要だし何度も読みたいと思って残したのは
   小説以外のもの何冊かでした。」

         (茅辺かのう「階級を選びなおす」から)



 ●この文章を、私は1968年の「思想の科学」12月号で
  読んだ。

  読んで、彼女に書き写し送った。

  また、自分も、すべての所持品・財産・身の周りのもの
  すべてを処分して、翌年3月、生協に飛び込んだ。



 ●私はいま、退職したらやりたいことがある。
  そのひとつが「捨てる」こと。

  いろんな物がたまってきた。
  ためるつもりがなくとも、記録のようなものがたまる。

  もう誰も保存していないと思い、保存しているものもある。
  たとえば「労働組合」「G討」「2000年会」などの資料。
  前職の「社内報」や「仕事」関係の自分のもの。

  これらは全部捨てようと思う。


 ●茅辺かのう「階級を選びなおす」については、これまで
  何度もふれた。いま退職を前に、ところどころ再読し、
  「捨てる」ことについて考えたいと思う。



■案内
  ・日記/「Home」案内



0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する