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2006年04月02日02:25

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●責任感/■やればできる

■やればできる

 ●どこかに書いたと思うので、探すが、見つからない。

  同じ話を繰り返したくないので、できればリンクを貼り付けておき、
  そこを参照してもらえばいいと思って、その書いたところを探す。

  山田太一さんの本、「生きるかなしみ」に載っていたことば、
  「かなわぬことを願ってはならぬ」のことだ。


 ●日記には、目安になるようなタイトルをつけているが、なかなか
  見つからない。根気よく探して、やっと見つけた。



  「殺し文句」などという、ちょっと粋がったタイトルをつけたのが、
  よくなかった。

  「本」の「腰巻」の話を枕にして、「生きるかなしみ」の腰巻に
  書かれた「出来ないことを願ってはならぬ!」について書いている。

  ・「出来ないことを願ってはならぬ!」



 ●私は自分が言いやすいように、「かわなぬことは願ってはならぬ」
  と、いつのまにか変えて覚えていた。

  また、このアンソロジーには、山田さん本人の「断念するという
  こと」という序言もある。



 ●とにかく、私は「やってもできない」ことを、この山田さんの
  「ことば」でもって言いたかったのだ。

  世の中には、願っても、努力しても、がんばっても、どうしても
  手に入らぬものがある、ということを言いたかった。

  そして、そんなとき、私たちはそのことに、どう臨むか。


  「かなわぬことを願ってはならぬ」、断念することの大切さ、
  のことを思うのである。


  私は、自分の子供に、すこやかに育ってほしい、という願いを
  もったが、具体的にどんな人間になってほしいという希望を
  もたなかった。自分がどんな人間になればいいのか、そのことに
  迷っているのに、それを子供に教えたり、願ったりすることなど
  できるはずもなかった。


  いまでも、子や孫を見るとき、思うのは
  「かなわぬことを願ってはならぬ」ということである。



 ●しかし、きょう書くことは、その反対である。
  「やればできる」ということについてである。



 ●いま、事務の引継ぎをしている。順調に進んでいる。
  あれほど、「できない」として、やることを拒否していた同僚が
  「やればできる」のである。

  経理、やったことがない。パソコン、やったことがない。
  それで通っていた。いや、通していた。
  そうやっても、職場が動いた。なんとか、なった。

  だが、それが通らなくなると、やるしかない。そして、
  やればできるのだ。やらなかったのは、打算だ。


 ●「やればできる」ようになったのは、練習の成果ではない。
  「やらなければならない」という「責任」の受け止め方にある。

  「やらなければしょうがない」と消極的に受け止めるか、
  それとも積極的に受け止めるか、その相違はあっても、自分の
  こととして事態を受け止め、それにどう対処するか、自分は
  何を受け持つか、その「責任感」が「できる」ようにさせる。



 ●ただ、注意が必要なのは、その「責任」の範囲である。
  「責任感」の強い人は、往々にして、その人の「任」でもないことに
  倫理的な責任を負ってしまうことである。


  「職場」の場合は、とくにそうである。自分がつぶれてしまうような
  「責任」を負うべきでない。

  倫理的に「責任感」の強い人は、そのことを肝に銘じるべしである。


  役職の権限・責任をはっきりさせなければならない。
  上司の責任や権限を、部下が引き受けるべきではない。
  上司の「仕事」を奪ってはならない。

  とくに、「無責任」な上司のもとにいる部下はそうである。



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