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2009年01月22日23:20

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モンテヴェルディ 歌劇『オルフェオ』

1/20、図書館から借りたビデオで、モンテヴェルディ作曲の歌劇『オルフェオ』を観ました。

モンテヴェルディはルネッサンスからバロックへ音楽への橋渡しをした人物で、殊に創始期のオペラ作家として有名です。
そのオペラがこの『オルフェオ』で、音楽史に現れる第6番目の作品ですが、その革新性と表現力は中でも突出しており、現在も演奏される唯一のオペラとなっています。
このオペラの偉大な功績で、その後、オペラはイタリア文化の代名詞となり、オペラと言えばイタリア語で台本が作られるのが永い常識となりました。

このビデオは、その『オルフェオ』を、ポネルとアーノンクールという、オペラ演出と古楽演奏/研究の傑物が手を組んで完成させた、意義深いものです。

まず事実関係を下にリストアップしておきましょう。

台本 アレッサンドロ・ストリッジョ(5幕伊語)
作曲 クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643/伊)

監督 ジャン・ピエール・ポネル
指揮 ニコラウス・アーノンクール
演奏 チューリヒ歌劇場モンテヴェルディ・アンサンブル
出演
オルフェオ(オルペウス) フィリップ・フロッテンロッハー(br)
エウリディーチェ(エウリュディケー) ディートリンデン・トゥルバン(演技) & ラシェル・ヤカール(歌唱/s)
希望の神/音楽の神 トルデリーゼ・シュミット(ms)
アポロ(アポローン) ローラント・ヘルマン(br)
使者シルヴィア/プロセルピナ(ペルセポネ) グレニス・リノス(ms)
プルトーネ(ハデス) ウェルナー・グレッシェル(b)
牧人/霊 フランシスコ・アライサ(t)
*判り易さの為、ローマ神話名に(ギリシャ神話名)を併記した。

1978年映画として製作されたもので、舞台のライブ収録ではありませんが、出だしは、オペラ観劇に来た客達が座席に座る様子、演奏者や演技者が舞台で語らう様子が映され、アーノンクールが登場して、ファンファーレからオペラが始まる手順になっています。虚構と実際が巧妙にない交ぜにされています。
そして、まさにその連続として、貴族の夫婦(オペラの主催者で、歴史上の人物、マントヴァのゴンザーガ公爵をイメージさせる)が舞台に現れ、始まりの挨拶を歌う。既に時間は17世紀に飛び、オペラは始まっています。
この2人は、後、アポロ、また希望の神/音楽の神を演ずる事にもなります。
舞台の中の高い位置にはバルコニーが設置され、廷臣達がそこから下の舞台を見物し、時に合唱にも参加します。ギリシャ劇のコロス的な役割です。

つまり、このオペラは、中央で演ずるオルフェオや牧人ニンフ達、それを観る廷臣(を演ずる人達)で構成され、更に、映画としては、オペラ全体を劇場で観る現代の人々(を演ずる人達)をも取り込み、そして、勿論その映画をビデオ等で観る我々をも意識に入れています。
こうして、芝居は、複雑で多角的な視点を確保する事になります。

公爵の前口上の後、時代は更に奥へ入り込み、神話の時間へ移行します。オルフェオとエウリディーチェの結婚に到る経緯が、牧人とニンフ達の歌で、歓びをもって紹介されていきます。

さて、この物語の元は、言う迄もないギリシャ神話です。
ただ、このオペラには多少神話と違うところがありますので、そこをクリアーにしておきましょう。この違いにも実は多層性があるのです。

その構造は・・・
1)ギリシャ神話
2)ストリッジョの台本
3)モンテヴェルディの改定
4)ポネルの演出
・・・と、こうなっています。

1)のお話しは誰でも知っているでしょう。
オルフェオは愛するエウリディーチェを毒蛇によって亡くすが、これを認める事ができず、地獄へ妻を探しに行く。その竪琴の演奏と歌の力で、冥界の王プルトーネを説き、妻を地上へ連れ戻す了解を得る。が、途中で妻の顔を見てはならないという条件付き。
しかし、オルフェオは途中で疑惑と誘惑に克てず、終に後ろを振り向いてしまう。エウリディーチェは再び冥府の川を渡る事となる。

これには、後日談があります。
オルフェオはひとり地上に戻った後、悲嘆と絶望に暮れ、回りの女達を呪詛する。トラケイアの女達はそれを怒り、バッカス(ディオニソス)の祭りの時、オルフェオを八つ裂き!にしてしまう。

当時先行するオペラでは、エウリディーチェがオルフェオと地上に戻って幸せに暮らすというハッピーエンドになっていましたが、2)の台本では、比較的神話に忠実にラストが描かれ、オルフェウスの死で幕が下りる形になっています。

しかし、この時代のオペラというのは、上級貴族の祝祭として演じられるもので、八つ裂きのエンディングはどうも都合が悪い。
で、3)でモンテヴェルディは、オルフェオの絶望と呪詛の後に、父神アポロを登場させ、彼がオルフェウスを天上に導くという形に改変します。

4)、ポネルの演出は、というと、モンテヴェルディのスコアを変えてしまう訳にはいかない、しかし、元の神話のエンディングもラストとしてはインパクトがあり捨て難い。で、歌われる物語は台本通りですが、言葉のない演出として・・・、倒れているオルフェオの回りを怒った女達が取り囲み、赤色の布を、彼の体の上で引っ張り合い、とうとう布はびりびりにちぎられてしまう。・・・これで女達の怒りを表現し、且つ、オルフェオの体が八つ裂きにされたという事を暗示させている訳です。

その後、呆然となったオルフェオをアポロは諭し、天上へ連れて行きます。
しかも、そのアポロ役は、このオペラの主催者である貴族その人が演ずるのです。

このような巧妙な演出で、物語の悲劇性と崇高性と伴に、当時のオペラ開催のスタイル迄を、ポネルは表現しています。


古い時代、創始期のオペラですが、感情表現の生々しさには驚かされます。
これには勿論アーノンクールの力が大きいと思われます。
彼はその後、レパートリーを後代に拡げていき、モーツァルトの『フィガロの結婚』等も私は観ています。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=524627543&owner_id=3341406
その演奏では、学者肌で説明過剰の持って回った音楽作りに、私は辟易させられた記憶がありますが、『オルフェオ』では、生々しい情感が古楽器で清々しく表わされていました。
これはよけいな事ですが、ビデオで見る限り、体つきも大変スリムで、まだ脂肪は殆どついていません。(笑)

それから、モーツァルトでは多くの主役を演じているフランシスコ・アライサが、若い頃こうした端役、と迄は言えないが、その他大勢の中の頭位の役柄で出ているのも面白く観ました。


<追記>
オルフェオの物語は、日本のイザナギ・イザナミ神話と大変よく似ています。
比較神話学等でもよく取り上げられるテーマで、この類似性について、ここで話をする時間はありませんが、大陸の西と東の果ての島国でこんな近親性があるのは興味深い事です。
 
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