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2008年12月09日17:14

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シェカール・カブール『エリザベス』

レンタルDVDで、1998年製作、シェカール・カブール監督『エリザベス』を観る。

エリザベス1世について、歴史の表舞台に現れた人生の、特にその前半を、新旧宗教の争いと人間に焦点を当てて描いている。
諸事件の時間のズレを意識的に操作してはいるが、起こった事柄については、ほぼ歴史を踏まえている。
カブールはインド人だが、驚く程よく勉強している。元大英帝国の構成員だった事は、同じアジアでも、日本人がこの類を作るのとは全くレベルが違うだろう。
リチャード・アッテンボロー(この映画ではセシル卿を演じている)が名画『ガンジー』(1982)を作ったのと同じ構造だと言える。
人の心の内の問題、勿論それは、歴史では掴み切れない部分がある、そこはカブールの思い入れと取ればいいし、そこにこそ、映画作りの醍醐味もある。
この映画の続き、エリザベスの後半生を描くのが、同監督、同配役による『エリザベス・ゴールデン・エージ』(2007)という事だろう。それはまだ観ていないのだが・・・


さて、頭の中で史実と確認しながら観ると、そうだね、そうだね、と思いながら、さらさらと終わってしまうので、あれれ、と思う。
エリザベスの恋心、1人の女として、そして公人の最たる女王として、その移ろい等、それだけではありふれ過ぎたテーマで興味も湧かない。
しかし、映画の最後部で不思議な出会いがあって、頭の中がぐるぐる回った。この出会いによって、私のこの映画の理解と評価はひっくり返った。
そこから始めよう。

エリザベスが対立派,旧教派を一斉処分し、その大量の血の果てに、1個人から絶対君主になるのを象徴して、長い髪をバッサリ切り落とす。
その時、流れてくる音楽が、モーツァルトのレクイエムである。
多くの犠牲を払って迄英国教会統一法を通し、カトリックに破門される事も止むなしとした、その大転換の後の場面で、何故、カトリックのミサ曲たるレクイエムなのか。
クエスチョンマークが頭の中を駆け巡った。
カブールのミスか、ただ安穏に音楽効果を考えただけか、とも。

これを考える事は、先んずる映画のあちこちの場面に戻る事になった。

エリザベス1世を”ヴァージン・クイーン(処女王)”と呼ぶのはfar eastの日本人にだってよく知られた事だ。
たくさんの求婚を撥ねつけ、一生結婚せず、身を捨てて、イングランドを世界に冠たる国に育て上げた、と。
だが、結婚しなかったから”処女”だったかと、問えば、それはnoで、この映画でも優柔不断を曝け出すロバート・ダドリー卿を始めとして愛人は多数にのぼった。

この最後の場面で、短くなった髪を曝してエリザベスは言う”I have become the Virgin”。戸田奈津子の日本語字幕は、”私は処女になった”。
あながち間違えとは言わないが、二重構造を認知した上で”処女”という言葉を理解しないと、映画の理解は半分にも届かない。
これは処女にしてイエスを身籠った”聖母マリア”という事であるべきだろう。
つまり、エリザベスは、多難の末、イギリス国民にとっての聖母になった、という事だ。
この姿で、逆光の中、全廷臣の前に現れたエリザベスの姿は、まさにマリアの様相である。

さて、問題はまだ解決していない。
聖母信仰というのは、カトリック信仰の中で育まれたもので、特に対抗宗教改革の戦略において、この図像は世界に多くの新しい信者を作り出した。
プロテスタント側の原理では、行き過ぎた聖母信仰に歯止めをかけている。これはキリスト教信仰の本筋ではない、傍系の事柄に属する、と。
だから、この理解の上からすると、新教徒であるエリザベスの発言は妙だ。

先女王メアリー1世はカトリックである。ヘンリー8世の政策に背いて、メアリーは旧教を復権、プロテスタントを弾圧した。これを経験した英国民は彼女を”Bloody Mary”と呼んで忌み嫌った。
そのメアリー1世が、世界のカトリックの盟主たるスペインのフェリペ2世(10歳年下)と政略結婚し、自身も旧教勢力も守ろうとしたのだが、想像妊娠で腹は膨れても、結局子は授からず、最後は卵巣癌で死ぬ。
その間際、ロンドン塔に幽閉していたエリザベス(ヘンリー8世の異母妹)を呼び出し、「(おまえが次期女王となっても)英国民衆から聖母を取り上げないでくれ」、つまり、カトリックを存続させてくれ、と懇願する。
エリザベスは、曖昧な返事をし、ロンドン塔での幽閉から解放され、次代女王に就任する。

あの場で、明確に旧教を否定しなかったエリザベスの心境は、プロテスタント側ではあっても、激しい原理信奉者のそれではなかった。
映画の中では、幾度かそれを表す部分がある。
例えば、新旧教の争点は、「ささいな問題」に過ぎない、また、「宗教は2つでも神は1つだ」、との発言。
これらは、当時の宗教家からすればとんでもない話で、”異端”の考え方だと、彼女は取り巻き達に一蹴される。

エリザベスはこんな中道的とも言える宗教感の下、国教会統一法を制定し、英国民を統べる事となる。
新旧の権勢争いで揺れに揺れ、多くの血が流された後、エリザベスは、新教原理では信仰対象から排除されたマリアの代わりに、自ら”英国民衆の聖母”になろうとしたのである。
あのシーンでバックに流れる音楽がカトリックのミサ曲であったのは、こんな背景からであったのだ。

彼女は、この時、自身の愛や感情を捨て、後世に残る有名な言葉通り、英国と結婚した(“ I married to Engrand ”)のである。
つまり人たる事を辞めたのであって、あの厚い顔料の如き化粧は、人としての表情を圧し殺す為の具なのだろう。
歴史上の見解では、皺1本で女王の老いを国民に察知させる事のなきよう配慮した、という政治的なものだったとの説があり、その為、肖像画はいつもつるりとした白面で、表情というものを見る事ができない。
レクイエムは、それ迄に死んだ多くの人々への鎮魂だけでなく、人たる事を辞めた鎮魂でもあるのだ。

この映画の“virgin”の1語は、これ程含みが深い。

監督 シェカール・カブール
脚本 マイケル・ハースト
撮影 レミー・アデファラシン
音楽 デイヴィッド・ヒルシュフェルダー
美術 ジョン・マイヤー
衣装 アレクサンドラ・ビルタ
出演 ケイト・ブランシェット,ジェフリー・ラッシュ,ジョセフ・ファインズ,リチャード・アッテンボロー,クリストファー・エルクストン,ファニー・アルダン 他
受賞 英アカデミー作品賞/主演女優賞/助演男優賞/撮影賞/メイクアップ&ヘアー賞/作曲賞 他


写真は『エリザベス・ゴールデン・エイジ』から。

エリザベス1世の肖像画のごく1部は、以下でご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B91%E4%B8%96
 
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