「漢字と音読みの謎を解く 呉音・漢音・唐音の奥深い世界」
中澤信幸:著 中公新書
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2026/08/102924.html
漢字は音読みが複数あることがあり、それは入ってきた時代によって呉音、漢音、唐音と言うことは知っていました。漢音は遣唐使時代に唐の文化を国家事業で取り入れてきた時期のもので、これがだいたい標準的な音読みになっていることが多いということも。
それはだいたいまあそうなんですが、この本を読むと「音読み」というものが相当複雑な経過をたどってきたことがわかりました。
まず呉音と漢音の違いとしては、変化する法則がちゃんとあります。
「日」…呉音「ニチ」漢音「ジツ」
「人」…呉音「ニン」漢音「ジン」
という風に「ニ」が「ジツ」になるという対応をします。
漢音は遣唐使を中心にもたらされたものですが、呉音はどうやって入ってきたか、時代とルートがいろいろ記録があって一定していません。ただ、呉音は仏教経典と共に入ってきたもので、お経の読み方は呉音で読む習慣が続いたそうです。
奈良時代に漢音が入ってきますと、漢音が公式の音とされ、呉音は排斥されそうになりました。しかし仏教界からの反発が大きく、呉音は残り続けることになりました。
それで、漢文文献は漢字で入ってきています。漢字は表意文字であって、表音文字ではありません。そうしたら、ちゃんと音を注釈した書物も作られていたんですね。なので当時どんなふうに読んでいたかがわかるのです。中国でも漢字の音を表すための表記や注釈書があって、それも日本に入ってきたので、日本でもそれにならって音を表す注釈書が作られたのです。
この本は「音読み」がテーマですが、今まで漢字についてこれだけ読み方の研究が行われているとは知りませんでした。
ということで、著者もどんどん沼にはまっていったようで、今度は中国で漢字がどのように読まれてきたか、音の注釈書などを頼りに日本の音読みと照合していく、という作業を始めてしまいます。中国で昔の音を復元すべく研究が行われているのは知っていました。唐詩を唐代の音で読む試みなどもあります。なにしろ記録魔の中国人ですから、音についての注釈も整然と体系化されているのです。といっても整備されたのは唐代あたりで、あまりに古い時代は文献も乏しく再現するのは困難ですが。そういった注釈書では音だけではなくて声調もわかるようになっています。
唐音は宋代あたりに禅宗と共に入ってきました。漢音から時代が隔たっており、中国語の音も現代に近づいて来たころですので、それまでの音読みとはかなり違う部分があります。行灯とか提灯とか蒲団などです。
また、「杏」という字は音読みでは「キョウ」が普通です。日本では「あん」といいう読みも普通に行われていますが、これは「あんず」を略したのではないかと思っていました。つまり日本語の読み方だと思ってたんですが、大きな間違いでした。「杏」は唐音で「アン」と読むのです。呉音・漢音で末尾がウ、イ、のもののうち唐音で「ン」に変化するものがあるのです。…にしても、「キョウ」が「アン」なるのは変わりすぎだろ…。(さらに調べてみたら、日本語だと思っていた「あんず」は「杏子」の唐音から来ていたという…。それが「あんず」が普及して今では「あんず」は訓読み扱いなんですって。だから日本語だと思ってしまったんですね。)。
こういった時代による音の変化も詳しく説明してありました。
しかし時代が下りますと、音読みの区別が意識されなくなっていきました。しかし音は残ります。それを反映したのが「字音仮名遣い」です。「歴史的仮名遣い」という言葉もありますが、字音仮名遣いはより読み方の違いを表した仮名遣いです。
「宝」という字は「ハウ」という仮名遣いです。
「豊」という字は「ホウ」です。
この使い分けは何かというと、中国語の音韻を反映しているのです。
au系とou系で音韻が違うのです。「宝」は「豪au」の音韻、「豊」は「東ou」の音韻です。
江戸時代になりますと、こういった音の体系を整備するため中国の韻書を参考に音読みの研究が行われ、呉音・漢音・唐音の区別もはっきりと整備され、体系化されました。
日本での漢字の音読みは中国から入って来た音だというのは多くの人が知る所ですが、ここまでしっかりもとの中国の音が反映されているとは知りませんでした。日本語の音では区別が消えてしまうような音の違いや声調までしっかり受け継がれているのです。
この音読みの研究は現代の漢和辞典に引き継がれます。漢和辞典には呉音、漢音、唐音の区別が明記され、声調も音韻も記されています。現代の漢和辞典ではピンインの中国語表記も書いてあります。
終章〜あとがきになりますと、音の沼にハマっていく様子が見てとれます。台湾が日本の領土となった時に日本語-台湾語の辞書が作られたので、その辞書の音韻表記まで調べます。日本の音読みと台湾語の読み方も対照できるのです。台湾語と言いますのは、中国の福建省あるいは客家の言葉を中心に形作られた言葉です。現在は国民党がもたらした北京標準語が「国語」として標準語として扱われますが、当時はそんなものはありませんので、台湾の漢人は福建方言や客家方言由来の言葉を使っていました。
そのうち東アジアの漢字の需要にまで関心が向いてきているようで、本文でも朝鮮語やベトナム語での漢字の読み方まで調べて対照しています。東アジアに世界が広がっていっています。
ということで、音読みとはこんなにも広くて深いものだったのかと驚きました。
これから漢字の音読みを見たら、呉音か漢音か気になりそうです。
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