mixiユーザー(id:1362523)

2025年11月30日02:00

68 view

トルコ旅行記(17)トプカプ宮殿

さて、トプカプ宮殿の入り口が見えてきたわけですが。

トプカプ宮殿だー!!

どんどんテンションが上がります。
最初の門は「帝王の門」です。白い石を積んだ壁で素朴なように見えて、入り口のアーチの上部には細かい細工が施してあります。
この門を抜けると広場になっています。左手の方にあるのは聖エイレーネー教会です。ビザンチン時代の教会で、なぜかモスクにも改装されずこのまま残り続けているのだそうな。武具置き場になっていたこともあるとか。その先に平たい建物が続いていますが、ここはパン焼き場でした。オスマン帝国時代はこの宮殿にはものすごい人数の人が住んでいて(ガイドさんは具体的な数字を言ってくれたんですが覚えてない…)、その人数分のパンを毎日焼いていたのです。

さらに進むと「挨拶門」があります。入り口の両側に太い柱がありその上に鋭い尖塔が付いています。
そこを入るとまた広い中庭があります。正面の奥には至福の門があります。右手に柱が並ぶ長い建物があり、そこが厨房だったということです。左手に行くとハレムです。
観光はハレムから入ります。門をくぐると黒人の宦官があぐらで座っています。等身大の人形です。昔はこうして門を守っていたそうです。
トプカプ宮殿は広大な城館があるわけではなく、いくつもの建物が複合的に建っています。なので歩いていると空も見えます。けっこうせせこましく隙間なく壁が続いています。ガイドさんがその一角を指し示しました。ハレムの女性の教育所です。オスマン帝国ではヨーロッパから7〜8歳の少女をさらってきて、妃にするべく教育を施すのです。スルタンのお相手をするには話を合わせるための知識も教養もいるのです。スルタンの妃になれなかったら将軍や大臣に嫁がせることもありました。
さらに進みますと、妃の浴室がありました。白っぽいタイルだと思ったら大理石らしい。深い浴槽があります。
その先はスルタンの浴室です。やはり大理石で妃の浴室より大きくて豪華です。窓があるので明るいのですが、入浴中に刺客に襲われないように鉄格子が付いています。

入り組んだ通路を進んでいきますと、スルタンの大広間に着きました。トプカプ宮殿で一番豪華な部屋です。
壁に豪華な天蓋付きでスルタンの玉座があります。その横には背の高い豪華な中国の磁器の壷。アーチに支えられたドーム天井からシャンデリアが下がっています。そして壁にはびっしりと華やかな唐草模様やアラビア文字模様が踊ります。床にはこれまた豪華な絨毯。
ガイドさんは世界の宮殿でもこれだけ豪華なものはない、と得意そうに解説してくれます。
私は内心それは言い過ぎでは…と思ったり。だって、ベルサイユ宮殿見たし…でもあれはバロックのゴテゴテで趣味がいいとは言い難いですが。あと紫禁城とかアルハンブラ宮殿とかいろいろ思い返してみました。それぞれ特徴がありますので甲乙つけがたい。

ムラト3世のサロンは、壁の一角に階段ぐらいの大きさの段々が作られています。当時ここでは水が流れていて、密談をするのに盗み聞きされないように工夫されていたということです。

通路を行きますと、壁には鮮やかなタイルに美しい唐草模様が続いています。
外に出ますと海が見えました。トプカプ宮殿は海沿いに作られていることを実感しました。ボスフォラス海峡とマルマラ海の交わるあたりになります。ハレムの中はせせこましかったので、こうして海を見ると解放感があります。ハレムの女性たちも気晴らしに海を眺めたりしたことでしょう。船遊びをすることもあったそうです。

ツアーの人が、ガイドさんにスルタンはどこに住んでいたのですか、と聞いたらハレムのあたりに住んでいたとか。
ハレムと言えば後宮、女性たちが住む場所というイメージかもしれませんが、ここはスルタンの私的空間でもありました。中国の宮殿もそんな感じですね。外廷は政治の場、公の場で、その奥に内廷があり、皇帝の私室がありました。
オスマン帝国の場合は、トプカプ宮殿は大きなメインの城館というものがなく、スルタンもそれぞれ宮殿内の好きな場所に城館を作ったり別館を建てたりしていました。なのでトプカプ宮殿は複雑な構造になっているのです。

そもそもオスマン帝国ではもとはトプカプ宮殿とは別の場所にハレムがありました。スルタンはそこへ通っていました。スレイマン1世の寵姫として有名なヒュッレムがハレムをトプカプ宮殿内に移しだのです。

スレイマン1世とヒュッレムと言えば、トルコのドラマ「オスマン帝国外伝 愛と欲望のハレム」が人気でしたが、ガイドさんが言うにはトルコに旅行に来る人の大半が見ていたこともあったそうです。私も興味はなくはなかったんですが、長くてずっと見てられなくてあきらめました。

ハレムを出ますと、至福の門の内側の庭に出ました。至福の門の内側は大きな屋根のある四角い建物になっています。その横には内廷学校があります。オスマン帝国ではハレムの女性だけでなく、征服地のキリスト教国から男子を徴用してトルコ語とイスラームの教育を施し、奴隷軍団の兵士として訓練されました。オスマン帝国の軍団と言えばイェニチェリですが、この中には兵士だけでなく高官として出世する者もいました。

至福の門の建物の向かいにある白くて四角い建物はアフメット3世の図書館です。大理石製です。アフメット3世は図書館を建てて宮殿内の書物を集めて所蔵しました。

さて、ここからは自由見学です。集合時間を決めてそれまでに集まってください。
まず至福の門の内側の中庭の右奥は宝物館です。門を出て厨房のある所には今は中国陶磁器のコレクションがあります。と、聞いたら行かなくては。

まずみんなは宝物館に向かいます。私もまずは宝物館へ行きます。
もうとにかくキンキラキンです。宝飾品がいっぱい。中でも目玉商品は86カラットのダイヤモンドです。大きすぎてダイヤモンドに思えないぐらい。人がいっぱいで混雑しています。
それから黄金と宝石で飾られたスルタンの玉座がいくつか。玉座の上にはオーナメント。そしてバカでかいエメラルドがはめ込まれた宝剣。この宝剣は再会です。昔日本に来たことがあるのです。何で見たっけ…と思ってネットで検索したらちゃんと見つかりますね。

1回目は「トルコ三大文明展」。この展覧会情報が見つかった時はあんまり覚えがなかったんですが、会期がわかったのでちらしを探したら出てきました。チケットも一緒に貼ってありました。見てるやん…。しかも「トルコ三大文明」ということで、ヒッタイト、ビザンツ、オスマンの三つ。あまりにも覚えてない…。
2回目は「トプカプ宮殿の秘宝展」。これもネットで展覧会情報を調べたら会期がわかったのでちらしを探したら見つかりました。見たことも思い出しました。こちらはとにかく「キンキラキン」だったという印象があります。その時買ったしおりもいまだに使っています。しおりは織物やミニアチュールなのでキンキラキンではありません。さらに、黄金のゆりかごも覚えていました。王子様がおやすみになるキンキラキンのゆりかごです。形がウイグル人などが使うゆりかごに似ていて、トルコ文化の根っこがつながっているように思った…ことも覚えています。
(私は観劇や展覧会に行ったらちらしとチケットをスクラップブックに貼っています。1冊終わったら最初のページに一覧表を作っていつ何を見たかわかるようにしてあります)。

そのほか豪華な装飾のコーラン。
ヨーロッパの君主から送られた勲章。ナポレオンの肖像の付いたメダル、ローマ教皇のカメオ。

キンキラキンの世界に「すごいなー」とは思いましたが…それだけですね。芸術的価値を感じるものはあまりありませんでした。

なので陶磁器があるという厨房へ行きます。最初に見えた入り口から入ったら、宮廷の料理道具が展示してありました。驚くような巨大な鍋もありました。大人数の食事を作るんですからね。あとはヨーロッパから送られた食器セットなど。

中国陶磁はどこだーと思いながら出口があったので出ます。近くに出入り口みたいな所があったので行ったら「出口」でした。入り口はずーっと向こうでした。この厨房だった建物、長いんですよ…。時計を気にしながら小走り。とにかく添乗員さんには迷惑をかけているので、これ以上面倒な客だと思われないよう集合時間だけは守らなくては。入り口にたどり着いて入ったら…。

やったー!陶磁器天国だー!

オスマン帝国なので、明〜清時代です。特に青花がたくさんあって美しい。明代青磁もあります。宋代のものと違ってオリーブグリーンです。水瓶に金属のふたなどが付いていますが、これはトルコでつけられたもの。
次から次へと色々な陶磁器が現れます。もうウットリ。でもあまりゆっくりしているわけにはいきません。時計を見ながら必死で陶磁器の海をかき分けて進む、みたいな感じです。こんなに多いなんてー。というか、オスマン帝国の宮廷ではこんなにたくさん中国の陶磁器を使っていたんでしょうか。それとも観賞用に飾っていたのでしょうか。

ようやく出口まで来て、これで集合時間に間に合う、という頃合いだったので集合場所まで行きました。余裕でセーフ!私は時間は守る!

こうしてトプカプ宮殿観光は終わりました。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2025年11月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30