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2006年09月28日00:12

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フランス租界・再び淮海中路(重慶路以東)

皮恩公寓の東側は重慶路との交差点です。とても大きな交差点で、歩道橋がかかっています。このあたりは新しいビルやデパートが多く、人通りも車も多くてすっかり現代の大都市です。

淮海中路はフランス租界時代はジョッフル路と言いました。漢字では霞飛路(シアフェイルー)と書きます。第一次大戦の時、ドイツ軍を破ってフランスを勝利に導いたジョッフル将軍にちなんでつけられました。1922年にジョッフル将軍は上海に来たそうです。

淮海中路の北側へ渡って東へ進み、淡水路との交差点に来ますと、角に「尚賢坊」があります。淡水路を入ったところに入り口と「尚賢坊」の表示があります。淮海中路側はずーっと長い長屋になっています。1階部分は商店です。
ここは清末に李鴻章とイギリスの宣教師が儒教の精神とキリスト教の精神を融和を図って設立した「中国国際学会」のあったところです。「尚賢」とはその融和の精神を表した言葉です。紆余曲折の末、1924年にこの集合住宅が建てられました。上海で西洋風を取り入れた華洋折衷様式の民家を「石庫門」といいます。現在も多く残っています。
尚賢坊は内部は石庫門住宅で、淮海中路に面した部分はスペイン・バロックの装飾が施されています。ずーっと続く長屋の正面の上部がその装飾でリズミカルに続いています。窓にも装飾がありますが、よく見ると直線や曲線の使い方がアール・デコっぽかったりします。修復されすぎないでレトロな雰囲気を残す装飾が連なる様は、現代の中国の街とはなにやらミスマッチでそこだけ不思議な空間に感じられます。

さらに東へ行きますと、嵩山路の交差点の南東にフランス租界ジョッフル捕房があります。昔の警察です。
しかし今ではレストランなどいくつかのお店が入っていて、しかもそれぞれ原色やらネオンピカピカの看板を掲げ、それらが壁を覆って見る影もありません。よく見ると看板のスキマから茶色っぽいレンガの壁が見えます。西洋風の窓も見えます。でも昔の警察もこんな看板に覆われてすっかり形無しです。
このあたりまで来ると日も翳ってきて写真も撮りにくくなってきました。これだけフランス租界を回り倒したのですから、これでよしとしましょう。

写真は黄陂路との交差点にある大きなデパート「太平洋百貨」の2階のカフェで飲んだブルー・マウンテンです。ちょっと奮発してみました。陰になって見えにくいかもしれませんが、なぜかミルクが2個ついてます。
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