「プライマ・フェイシイ -私の声を聞いて-」
作:スージーミラー
演出:栗山民也
出演:三浦透子
オーストリアの劇作家が書いた一人芝居です。
気鋭の弁護士、テッサ・エンスラーは鋭い反対尋問で勝利を得てきました。その様子が本人による描写のセリフで進んでいきます。一人芝居で言葉のやり取りがない分、自分の行動を説明するようなセリフを言いながら動いたり、他人の動きや言葉を自分の受け止め方で語ったりします。法廷での勝利を導くための自信に満ちたモノローグ、それが成功した時の快感。ロースクールでの回想も語られます。
そんなテッサが性暴力を受け、被害者で原告として法廷に立つことになります。性暴力を受け、混乱しながら警察へ行き、そこで容赦ない追及をされます。心が折れそうになりながらようやく裁判にまでこぎつけます。しかし相手は一貫して無罪を主張。相手は超エリート敏腕弁護士を雇い、法廷で容赦なくテッサを追い詰めていきます。そこで展開されるのは、性暴力を受けた女性がよく言われることでもあります。誘ったんだろう、拒絶しなかったんだろう、なぜ全力で抵抗しなかった…。
さらに相手側の弁護士は、テッサの主張をじわじわと捻じ曲げるように悪意のある質問を投げかけていきます。そうして被告は無罪であると結論付ける意図的なストーリーをデッチ上げようとしていることにテッサは気が付きます。しかしその流れを止め、抵抗することがどんどん難しくなっていく…。
見ていてつらくなるような部分もありますが、これは知っておかなくてはいけないことだと思いました。特に、作者はロースクールに通ったこともあり、こういった裁判の現実も知っています。そうしてこの戯曲で、法律は本来公正なものであると信じられいますが、それは男性中心社会で作られたものだった。性暴力を受けた女性の実体験に合う司法制度はできていないのだということが、テッサによって語られます。
最後の方のテッサの語りは実際に周りの人たちに話しているのか、モノローグなのか。その渾身の想いを受け止めるのは観客なのでした。
三浦透子さん、すごいですね。一人で全部これだけのセリフ、これだけの内容を語ってみせる。場面に合わせて声色や話し方も変化させ、感情を表現して見せる。しかも大げさにならず自然にテッサの気持ちが伝わってくるように。
さて、反対尋問を受けている場面を見て、私の頭には別のことも思い浮かびました。
それは、その弁護士がフランクファーターみたいだと思ったことです。
最近、三原順の原画展が開かれているらしいのですが、東京なので見に行けず、ネットで報告をチラチラ見ていたんですが、そのせいかもしれません。
その三原順の「はみだしっ子」に出てくる弁護士フランクファーターは、まさしく被告の無罪を勝ち取るために原告側の証人たちを次々と追い込んでいきます。どんな事件であろうと、こんな風に被告が罪を犯しているのにもかかわらず、依頼を受ければ無罪を勝ち取るために相手側の証人を追い詰めていく弁護士はいるのでしょうか。犯罪が「なかったこと」あるいは「ごく軽い出来事」、そして「実は原告の方に非があった」のように誘導していく…。本当にいたらこわいなと思いました。
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