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2024年08月17日00:30

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「仏教文化の原郷」

「仏教文化の原郷 インドからガンダーラまで」
西川幸治:著 法蔵館文庫
https://pub.hozokan.co.jp/book/b643499.html

バーミヤン展つながりで見つけた本です。文庫本としては最近の刊行ですが、もとは1985年に出た本を一部書き直したもの。本当はもっと前に読んで7月に書こうとしたんですが、コロナでダウンしてしまって延びてしまいました。

タイトルの通りインドで起こった仏教の遺跡とガンダーラの遺跡を解説したもの。

仏教はインドでは一度すたれてしまったのですが、その遺跡を掘り起こして仏教遺跡の調査を始めたのはイギリスでした。この本では18世紀ごろから始まるイギリスの仏教遺跡の研究史も並行して書かれています。最初はまだ考古学研究の方法が確立しておらず、「宝探し」みたいなところから始まりました。

初期の仏教遺跡は舎利塔、舎利容器などです。19世紀後半にはイギリスによって初期仏教に関する多くの遺跡や仏塔が調査されました。

仏陀が活躍した諸都市のうちラージャグリハ(王舎城)は城壁の跡が残っています。また仏陀入滅後の第一結集を招集したマハーカーシャパがこの近くの石窟に住んでいました。
その後出家した人たちが集まって住むようになり、その集団はサンガ(僧伽)と呼ばれるようになります。その人たちが住むために作られたのがヴィハーラ(精舎)です。マガダ国のビンビサーラ王が作った竹林精舎が初期のヴィハーラとして有名です。王舎城の遺跡の近くにあるものがそうだと言われます。

アレクサンドロスの遠征でヘレニズム文化がインドにも入ってきます。特にマウリヤ帝国の首都パータリプトラでは、アカンサス模様の柱頭などヘレニズム風の建物の遺跡が発見されています。マウリヤ朝第三代のアショーカ王は特に仏教を熱心に信仰し、仏陀ゆかりの地などに碑文を刻んだ石柱をたくさん建てました。

初期仏教で特に重要な遺跡はサーンチーの仏塔です。
これを発見したのもまたイギリス人でした。そうして多くの論文、報告、図集などが出版されました。しかし有名になりすぎていろいろな人がやってきて、調査するつもりで大きな穴をあけて中のものを探そうとしたりして少なからず破壊された部分があるそうです。
サーンチーの仏塔は初期仏教の遺跡として仏教史には必ず記載されるものですが、遺跡発見・調査のプロセスからのアプローチは初めて読んだので新鮮でした。サーンチーは有名な土饅頭型の仏塔のほか、入り口に柱のある祠堂などいくつもの建物で構成された仏教コンプレックスになっています。

また、インドには多数の石窟寺院があります。
アジャンターが一番有名ですが、こちらは明治以降に日本人が調査に来ています。伊藤忠太も世界旅行の時に立ち寄っています。
アジャンター石窟では祠堂であるチャイティヤ窟と、僧侶の住居であるヴィハーラ窟の区別があります。これはその後中央アジア〜敦煌に至るまで踏襲されていますね。

さて、仏教は紀元前後になってようやく仏像が作られるようになります。その起源として、ガンダーラ説とマトゥラー説があり、決着を見ていない状況です。
…というのは、仏像の起源としては有名な話。しかしそれらの説もまた西洋人の研究から始まります。ガンダーラ説を唱えたのはフランスのフーシェです。インド、ガンダーラ、アフガニスタンを調査して、ギリシア美術の影響を論述しました。
一方ガンダーラ起源説に反論したのはポーランドのV.ゴルベウです。フーシェはガンダーラ美術の起源を古くさかのぼりすぎている、仏像はインド固有の伝統から始まっているものだと主張しました。それがインドで古くから作らてきた神様のヤクシー像を起源とするマトゥラー説です。

さてガンダーラ時代ともなると、多くの遺跡が出現します。そのうちタキシラのことが詳しく書かれます。これまたイギリス人が中心になって発掘調査を始めたものですが、20世紀に入ってきますと、イギリス人ばかりが調査メンバーになってるのはおかしいという声が上がり始め、インド人も加わっていくことになっていきます。
クシャーン時代の遺跡がいっぱい詳しく書かれていて楽しいです。

さらに、この地域を調査した日本人として大谷探検隊のことも書いてあります。大谷光瑞の写真がよく見慣れたものではなく年を取っている時のものなので一瞬「え?」と思いました。
さらに戦後の京大隊の調査のことも書いてあります。
バーミアンのことも書いてあります。

最後の章は「ガンダーラに地域博物館を」です。
広範囲にわたって遺跡が広がっており、バラバラに調査するのは効率も悪いし、互いのつながりもわからなくなる。しかも現地では発掘もなかなか進んでいない。パキスタンを想定して研究と情報の集中、遺跡の保存管理ができるガンダーラ美術のセンター的な役割を果たす博物館を建設して、ガンダーラが東西文明に与えた影響を明らかにして、国際的な研究拠点とする。

ということで、もともとの本ではここまでで記述が終わっていました。
現在の状況ですと、「地域博物館」の構想はますます困難になっているように思います。

文庫版での再刊に当たり、この先に「付録」が付け加えられました。
後に公開講座で話したことを元にした記述と、バーミヤン大仏の破壊に関する記述です。
文庫版あとがきには、「ガンダーラは近よりがたく、遠い土地になってしまった」と書かれています。なんとも悲しい状況です。

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