「M.バタフライ」は1988年にブロードウェイでトニー賞を取ったお芝居です。
日本でもずっと以前に上演されたのですが、その時は諸事情で見損ねて残念に思っていました。その後映画化されたので見ましたが、なんとなくしっくりこなくて、これはやはり舞台で見るべきものだろうと思いました。
それがこの度上演されると聞いてぜひ見たいと思いました。
舞台は抽象的なセットで、ガリマールの独白で始まります。セリフによってガリマールが狭い独房にいることがわかります。くたびれた服を着て、ラジカセで「蝶々夫人」の歌を聞いています。蝶々夫人が好きだったガリマールはなぜ独房に入れられるに至ったのか。自分の人生を語り始めます。
ガリマールはフランスの外交官で、北京に赴任します。大使館の催しで、現地の女優が蝶々夫人の一場面を演じます。ガリマールから見ると歌はいただけなかったものの、蝶々夫人の表現は素晴らしかった。しかしその女優は本当の芝居が見たかったら京劇を見にいらっしゃいと言う。
そうしてガリマールは京劇を見に行き、彼女と語り合う。やがてガリマールは彼女、ソン・リリンこそ自分のバタフライだと思うようになります。そうしてソンと二人の逢瀬のために部屋を借りるようになります。(奥さんがいるのに!)。
ソン・リリンはしとやかで慎ましく、西洋の女性とは全く違う。ガリマールが触れようとするだけで恥じらう。服を脱ぐことはありませんが、それでも「男の人を喜ばせることはできる」と言います。母親から教えてもらったと…。
そうして、明かりを消してと言い、二人はベッドへ。
しかし、ソン・リリンのセリフを聞けば、西洋の男性が東洋の女性を征服するような意識に対して批判的なことをよく言っています。「バタフライ」に夢中のガリマールにはそういった言葉は届かなかったのでしょうか。
しかし、中国では文化大革命が始まり、ガリマールとソンは会えなくなってしまいます。そしてガリマールに帰国の命令が下ります。
ソンは農村で労働させられ、役者だったことから批判にさらされ、引きずり回されます。そうしてソンにパリへ行くよう命令が下されます。
ソンは蝶々夫人の着物を着て現れます。
ガリマールはフランスへ戻ると妻とうまくいってなかったこともあって離婚していました。
二人の間にもう障害はない…はずでした。
しかし、二人は機密情報漏洩の罪で逮捕されました。
そうしてソンは蝶々夫人の着物を脱ぎ、シャツを着てネクタイを締めて、スーツ姿で裁判官の前で証言をします。裁判官はどのようにしてガリマールから情報を聞き出したのかと問い詰め、ソンはそれに答えます。
一通り証言を語った後に現れたガリマールは「バタフライ、バタフライ」とうめくように呼ぶ…。
ソン・リリンは京劇の女優ではなく、女形でした。北京で共産党の命令でガリマールに近づき、情報を引き出していたのです。パリへ行くように命令されたのも、引き続き情報を引き出して共産党に報告するためでした。
これは実話をもとにして書かれたお話です。フランスの外交官が京劇の女形にだまされて長年にわたって情報を引き出されていたという…。
作者は中国系アメリカ人のデイヴィッド・ヘンリー・ファン。
登場人物の名前は変えていて、フィクションとして書かれています。
ポイントは、ガリマールの独白からなる物語だということです。これはどこまで真実なのか、ガリマールの幻想なのか…。
そもそも本当にソンが男だと全く気が付かなかったのか、なぜそんなにあっさりだまされてしまったのか。
ガリマールは自分の信じたいことを信じ、見たいものを見ていたのです。
バタフライの幻想を追い求めるガリマール、そしてそれをあざ笑うかのように真実の姿をさらしだすソン。
ガリマールは内野聖陽。
ソン・リリンは岡田圭人。
このお芝居によって、蝶々夫人に象徴されるような、西洋人の東洋幻想は徹底的に批判されました。ひょっとすると、作者は日本人設定の蝶々夫人のイメージががアジア女性全般に適用されていることに異議を唱えたかったのかもしれません。
ついでに、この舞台では日本で上演されているものですから、蝶々夫人の着物が本物の美しい着物なわけですが、ブロードウェイで上演されてたら「なんちゃって着物」だったかもしれない、その方がニセモノっぽさが出ていたかもしれない…などと思ったりしました。
さらに、このお芝居が出たことで、西洋人の東洋女性幻想はぶち壊された…と思ったのですが、そのすぐ後に蝶々夫人をモチーフにした「ミス・サイゴン」というミュージカルが誕生し、この期に及んでまだアジア物で「蝶々夫人」ネタを使うのか!と絶望的な気分になりました。
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