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2020年10月06日01:51

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「ブダペストの古本屋」

「ブダペストの古本屋」 徳永康元:著 恒文社

ずっと前に古書フェアで見かけて、「ブダペスト」のタイトルに惹かれて買ったものです。
ずっとほったらかしてたんですが、このほど突然読みました。

どういった本かすら知らなかったんですが、ハンガリー語学者の随筆集をまとめたもの…らしい。いくつかの雑誌類に書いたものを集めたもので、回想録なども入っているので、時間軸などはバラバラです。

著者は1912年生まれで東大言語学科卒。卒業後東大図書館に勤務し、1940年から1942年にかけてブダペスト大学に留学していました。
文系の大学生なので、古書店が好きなのは珍しくはありません。しかし、著者はブダペストに来るなり老舗の古書店を見つけて入っていき、ハンガリー語関係の珍しい専門書を買い込んだと言います。店主にはハンガリー語がまだ片言の外国人がどうしてこんなものを…といぶかられたそうな。
そういった老舗の古書店の店主というものは、なまじっかな学者よりもはるかに書誌に対する学識があり、店の書庫にはきれいに分類された学術書などがずらりと並んでいたりするのです。
著者は通学の傍らこの古書店のほかいくつかの古書店に通い、おこづかいをためながら貴重な叢書や雑誌のバックナンバーをコツコツ集めていったそうです。そうするうちに同級生からも名の知られたコレクションを持つようになりました。
しかし、ドイツがソ連に宣戦布告をすると、ハンガリーも安全ではなくなり、ほとんど身一つで脱出して帰国を余儀なくされました。そのためせっかくのコレクションも現地に置いたままになり、大層悔しい思いをしたそうです。

まずこの本ではハンガリーの作家、モルナールのことが語られるので、「おっ」と飛びつきました。モルナールは「リリオム」という戯曲で知られています。のちにブロードウェイで一部内容を変えてミュージカル化されました。それが「回転木馬」です。あと、日本では「パール街の少年たち」という本が知られています。
「リリオム」は戦前から日本でも上演されていて、著者はその舞台も見ています。何度か上演されたものを見て俳優の比較などが書かれています。
巻末の著者略歴を見ますと、岩波文庫の「リリオム」はこの人の訳なんですね。

この人はよほどの本好き、しかも古書、古書店好きのようです。
戦争が終わっても外国にはなかなか行けません。外国どころか生活するのにギリギリで旅行どころではありません。昭和25年ごろになってやっと日本中を古書店めぐりの旅でまわります。それこそ九州から北海道まで。古書籍商組合の名簿とか、古本屋地図などがあるのでそれを手にして回るのです。
専門はハンガリー語ですが、シベリアや極北民族関連の文献も集めています。

やがて著者は学会などでヨーロッパへ行くようになります。例えば「フィン・ウゴル学会」です。ハンガリー語はヨーロッパの言葉とは別系統で、フィンランド語やエストニア語と親戚の「フィン・ウゴル語族」なので、このあたりの国同士で学会が開かれるのです。
ハンガリーを再訪した時、昔の学生仲間を探して連絡を取ったら、芋づる式に何人も健在が確認されました。そしてブダペスト滞在中にまたもや古本屋巡りです。戦後ソ連の衛星国になったハンガリーでは古本屋さんも国営になり、昔の古本屋さんはなくなっていました。

さらに、学会以外にそれ以外のヨーロッパの国もたくさん回るようになりました。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、デンマーク、スウェーデン、ヴィーン(原表記)などあちこちの国を回ってはいちいち古本屋を探すのです。あるいは、この街には短時間しかいられなかったので古本屋に行けなかったとかわざわざ書きます。ヨーロッパの老舗の古本屋は、店構えは小さくても、地下に大きな書庫があり、それも特色のあるコレクションをそろえているとか、図書館ぐらいの蔵書があるとか。それぞれの国の古書事情なども書いてあります。
それにしても、この人は一体何か国語わかるんでしょう。
パリのサン・ジェルマン通りの古本屋の地下室にアンカットのまま残っていた「エスキモー語辞典」を手に入れたとか、あんぐりしてしまうようなことが書いてあります。(昔の西洋の本は小口が裁断されていなかったので、ペーパーナイフで裁断しながら読んだ)。あと、ヴェネチアでハンガリー文学の古いイタリア語訳本を手に入れたとか。

日本の古書店でもすごい掘り出し物があるということで、西夏語研究のネフスキーがソ連に帰るときに残していった蔵書が売りに出たとか。
シベリア原住民言語研究のパイオニア、ハンガリーのレグリの遺著とか、やはりシベリア原住民言語学研究でフィンランドのカストレンのラテン語の学位論文とか、著者でさえ「どうしてこんなものが日本に」と思うような稀覯本もあって驚いたそうです。

また、留学時代にハンガリーから脱出した時の経緯を書いた章もあります。
独ソ開戦の知らせを聞いて、ここで帰国できなければ戦争が終わるまで帰れなくなるかもしれない、という状況になり、日本公使館へ行きました。そして内務省事務官と、留学生がもう一人、そしてヴィーンから来た医学博士一人、計四人でブダペストを出発しました。鉄道でルーマニア、ブルガリアへ行き、バスに乗ってイスタンブールに着きました。そこからまた汽車に乗って、アンカラを経てソ連国境へ。当時ソ連だったグルジアに入ります。それからカスピ海を渡って中央アジアです。トルクメン共和国からタシュケント(ウズベク共和国ですね)、アルマ・アタ(カザフ共和国)…と、別の方面で私になじみの深い地名が出てきます。19940年代のタシュケントってどんなふうだったんでしょう。そうしてようやくシベリア鉄道に乗り継ぎます。チタまで行けば国境も近い…ということで、ここまで来たらもう安心、ということで脱出記は終了。国境というのはおそらく当時は満州国ですね。
さらに、戦争末期には「勤めていた研究所から出張して満洲へわたり、ハルビンの町で古いロシア本を大分買い込んだ」とか…。でもこれもまたソ連が対日参戦して命からがら逃げて引き上げたとか。…当時のハルビンを見ているんですね。

また、この人はかなりの多趣味です。子供のころから連れていかれて、枡席の隅っこに入れてもらったというのが相撲に能楽。歌舞伎も文楽も見て、新劇も見る。映画も好きで、音楽も好き。
特に、ハンガリー留学中はモーツァルト没後150年の年に当たったことがあり、ヴィーンまで記念演奏会に通ったとか。その時のプログラムが詳しく記載されています。
ブダペストでも音楽会やオペラによく通ったそうです。リストの直弟子が高齢ながらまだ存命だったとか。リヒャルト・シュトラウスもフランツ・レハールもかなりの高齢ながらまだ存命で、指揮をする音楽を聞いたとか。

そして1940年にバルトーク夫妻の演奏会が開かれます。当時ハンガリーは親ナチスに傾いていたのですが、バルトークはナチスに抵抗して公職からすべて退き、公の場に姿を見せなくなっていました。それが久しぶりに演奏会を開くということで、友人から誘われて聞きに行きます。久しぶりの演奏会ということで客席は熱狂していました。その数日後、バルトークはハンガリーを脱出してアメリカへ向かいました。祖国での最後の演奏会だったのです。歴史的な演奏会に立ち会ったわけです。

どのエピソードも興味深く、しかも時代を感じさせます。
この本は、古稀の記念に今まで書いたものを本にまとめてはどうかと勧められたということです。昭和57年に初版が出て、昭和60年に再版(私が買った本はこちら)されていますので、そこそこ読まれたのでしょう。

カバーの絵はドナウ川にかかるブダペストの鎖橋です。
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