線路沿いまで来ました。
浜寺公園駅は島型ホームなので、線路の向こうにホームが見えます。ホームは石積みになっていて、昔は普通でしたが今ではあまりない構造です。さらに木造の柱と屋根がついています。待合室も円や直線などアール・デコっぽいデザインです。高架になったらさすがにこのホームはなくなってしまうのでしょうね…。
向こうに渡りたいんですが、踏切はなく、地下道があります。地下道を通って反対側に行きますと、仮設の駅舎に出ます。そこから横のほうを見ますと、もとの駅舎があります。高架工事の時に曳家をして場所をずらし、駅は仮駅舎で営業してもとの駅舎は工事終了まで横に置いておくのですが、単に置いておくだけでなくカフェやギャラリーとして使っているらしいです。でもこの日はコロナのため休業中。
この素敵な駅舎は辰野金吾の設計です。
辰野金吾は日本近代建築の父と言われ、明治初期に政府から近代化のためイギリスから招かれたジョサイア・コンドルに師事しました。ヨーロッパに留学し、帰国後は日本の各地に重要な建物を建てました。
代表作は赤レンガの東京駅丸の内駅舎です。赤レンガに白い石の帯を入れる建築は「辰野式」と言われ、日本各地にこの形式の建築があります。京都文化博物館(旧日本銀行京都支店)もそうです。
そのほか日本銀行本店、日本銀行大阪支店、奈良ホテルなどがあります。
そんな大物がなぜ地方都市の小さな駅舎を建てたのでしょうか。
それは、当時は浜寺には海水浴場が開かれ、たくさんの人でにぎわうリゾート地だったこと、また高級住宅地としての開発が始まり、白砂清松の海を臨む立地が美しい場所でもあったということです。
駅舎が完成したのは1907年。東京駅よりも早く、辰野金吾が初めて手掛けた駅舎です。しかも現存する駅舎としては日本でも最古級。
ついでに、南海電鉄は日本で最古の私鉄です。
まず目を引くのは赤い屋根と正面の三角屋根、そして曲線が優美な柱です。壁は塗られていますが、よく見ると木の構造が外に出ているハーフティンバーです。今回は中に入れませんでしたが、貴賓室も備えられています。正面右側です。多分ギャラリーになってると思います。
浜寺公園駅からまっすぐ行くと、紀州街道に出てそこを渡ると浜寺公園があります。
浜寺公園は1873年に日本最古の公立公園として開園しました。
さっきから「日本最古」が多いですね。
もとはここは白砂清松の美しい海岸でした。江戸時代に住民が防潮のため松を植えたところから始まって、明治初期には見事な松林になっていました。しかし新田開発が計画され松林が伐採され始めました。その時ここを訪れた大久保利通がこの美しい松林を残すよう働きかけたということです。そして公園として整備されました。
さらに1906年には海水浴場が開かれました。
当時の写真を見るとビックリするんですが、まさに「芋の子を洗うよう」な混雑ぶりです。しかも大掛かりな遊具もあり、本当に大勢の人が押しよせるレジャーランドだったようです。
しかし戦後臨海工業地帯として埋めたてられて海水浴場はなくなりました。
その代わり浜寺公園にはプールができました。大きな変形プールや競技に使えるプールなどいくつものプールがあります。私が子供のころは、プールへ行くと言えば浜寺公園でした。子供の時は大阪市に住んでいたと書きましたが、その時から阪堺線の沿線に住んでいたのです。
さらに、浜寺には水練学校があります。海水浴場の開場とともに開設され、海水浴場が閉鎖されてからはプールで訓練が行われています。浜寺水練学校は日本最古の水練学校で(またしても「最古」!)、今も夏になると南海の駅には生徒募集のポスターが見られます。「水練学校」という名前も古めかしいですね。
ということで、浜寺公園に入っていきましょう。
フォートラベルと同じ写真ですが、一応貼っておきます。
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