特に見るつもりがなくつけっぱなしにしていたテレビ番組に引き込まれました。
「歴史ミステリー 日本の城見聞録」という番組で、今回は「姫路城の奇跡!空襲で焼けなかった天守」というタイトルでした。
母は姫路出身で、「姫路のお城は日本一や」とよく言います。どこへ旅行へ行ってお城を見ても、姫路城に及ばない、と思ってしまうそうです。
さらに、空襲の時の話も耳タコぐらいよく言っていました。
夜にあった空襲で、焼夷弾が降り注いで母の家も焼けました。怖い思いをして、夜が明けると、焼け野原の町に姫路城がそびえていたのです。姫路の人たちはみんなで「お城が残ったー」と喜び合ったそうです。
という話を聞いていたのですが、なぜ焼け残ったのはナゾです。京都や奈良のように、貴重な文化財だと思っていたから…といわれたこともありますが、いまいち確証はありません。いったいなぜ焼けずに残ったのか知りたくなってそのまま見てしまいました。
番組では日本の各地でお城が焼かれた経過が紹介されました。名古屋城も、岡山城も、大垣城も、みんな当時国宝でした。広島城、福山城、和歌山城…すべて天守に焼夷弾が落とされ、石垣を残して消失していたのです。空襲でそんなにも失われていたなんて。
姫路城はその白い姿が標的になりやすいからと黒い網で覆われたといいます。しかし空襲は夜だったので、どの程度効果があったのかは疑問です。
そしてまさに「奇跡」としかいいようのない奇跡が起こっていたのです。
それは、空襲の翌日。二人の見習い将校が天守に上がると最上階に焼夷弾の不発弾が落ちていたのです。窓を突き破って天守に落ちてきたのです。見習い将校は、細心の注意を払って不発弾を天守から降ろし、お城から離れたところまで運んで処理をしたということです。
やはり姫路城も標的になっていたのです。
ちにみに、日本に対する空襲で主に使われたのは爆弾ではなく焼夷弾です。空襲の話をするとき、私が「爆弾」と言ったりすると、母に「焼夷弾」と訂正されます。大量に投下して、屋根や地面に落ちたら一気に燃えるのです。なので、姫路城も天守に飛び込んできた焼夷弾が不発でなかったら、燃えてしまうところだったのです。
また、三の丸あたりにも焼夷弾が落ちていたそうです。
これはまさしく奇跡です。姫路城も間一髪で燃えるところだったのです。
空襲体験をした人に取材をしていましたが、やはり一夜明けて姫路城が残っていたのがうれしかったと言っていました。
さて、そういえば大阪城も焼けてませんね。大阪にも大空襲があったのですが。
もっとも大阪城は昭和の初めに再建された鉄筋コンクリートです。空襲当時はまだ「新しい」といっていいでしょう。なので燃やす価値もないと思われたのでしょうか。それとも単なる偶然?
と、思って調べてみたら、一応被害はあったようです。櫓がいくつか焼かれ、石垣にも被害の跡が残っているそうです。天守にも焼夷弾が落ちたらしいんですが、焼け落ちることはなかった…のは、鉄筋コンクリートだったから?むしろ敷地内に砲兵工廠があり、そちらが集中的に攻撃されたので「おこぼれ」で被害にあったようなものなのかもしれません。
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