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2009年08月01日01:16

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中国東北・長春1・偽満皇宮

長春は大きな駅です。駅前広場はずーっと広いです。そしてそこは…車と人の混沌状態。「動線」とかいうものがありません。ホテルは駅から近くのはずです。地図を売ってるおばちゃんがいたので地図を買いました。長春駅の正面から大きな通り、人民大街が通っています。ホテルは駅を背中にして人民大街の左側にあるようです。現在位置は右に寄っています。
左のほうを見てみると…「春誼賓館」という大きな文字の着いたホテルが見えました。ホンマに駅前でした。人と車をかき分けて左のほうへ進みます。

春誼賓館は、1910年に建てられた満洲で一番古いヤマトホテルです。現在は新館ができています。予約をするときは区別できませんので、チェックインしようとすると新館に部屋が取ってありました。そこで旧館に変更できないか聞いてみたらすぐできました。
旧館はロビーの階段が豪華です。(写真左)
…しかしそこだけでした。客室の廊下は妙に新しく、部屋も全くレトロな雰囲気がありません。よく見ますと、木の部分が明るいベージュで、全体的に軽い感じで現代のホテルといった感じです。瀋陽のヤマトホテルは木の部分が濃い茶色で、そこが古めかしい雰囲気をかもし出していたのです。ついでにバスタブがなくシャワーのみ。一泊だけだからまあいいかと思いました。

さて、長春に着いたらまず行きたいところは偽満皇宮です。
長春は満洲帝国時代の首都で「新京」といいました。満洲帝国は国際連盟で認められず日本はそのまま国際連盟を脱退してしまったので、国際的には認められていない国です。特に中国では「存在していない」ことになっています。ですから「満洲」という言葉には全て「偽」がつきます。特に長春は首都だったためたくさんの史跡があり、全部「偽満洲」「偽満」という言葉が被せられています。地図を見ると「偽満」だらけ。「満洲」という言葉自体はこの地方を指すのに雰囲気があって便利な言葉なのですが、こういう国を作ってしまったために中国では使ってはいけない言葉になってしまいました。

さて、ここは満洲帝国の首都ですから皇帝がいました。清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀です。偽満皇宮は溥儀が住んでいた宮殿です。宮殿というにはつつましい建物群ですが、ここは実は仮宮殿だったのです。本当は皇帝の居所にふさわしい宮殿の建設が行われていたのです。しかしその宮殿は戦争が激化するにつれて物資不足に見舞われ工事が中断してしまいました。そしてそのまま1945年8月を迎えてしまいます。溥儀は宮殿の完成を見ることがないまま仮宮殿すら追われて逃げ出すことになりました。瀋陽で清朝の始まりを見て、長春でそのなれの果てを見ることになりました。
ちなみに、建設が中断した新宮殿はデザインを変更して後に完成し地質博物館として使われるようになりました。

入場券売り場でイヤホンガイドを勧められました。日本語ということで使ってみることにしました。そうしたらこれが皇宮内を移動するたびに懇切丁寧に解説してくれまして、思ったよりも時間がかかることに。しかしこってりたっぷり見学することが出来ました。
まず興運門という門を入りますと時計があります。溥儀がここを逃げ出したときの時間のままになっています。中国風の宮内府などいくつかの建物を過ぎますと、メインの建物その1「緝熙楼(しゅうきろう)」があります。洋風の建物です。(写真中)
建物の前方は工事中で、囲いも柵もなく足元が危ないです。しかもそのため正面から入れず、裏の出口から入ることに。この建物は溥儀とその后たちが暮らしていたところです。1階は第3夫人の譚玉齢が住んでいた部分が再現されています。この人は病気で早世しました。
中央の階段を上ると、西側が溥儀の居住部分です。蝋人形がいて当時の様子を再現しています。皇帝とはいっても名ばかりで、日本人が満州国の中枢深く入り込んで溥儀を指図していました。

東側が婉容皇后の住まいです。寝室をはじめいくつかの部屋があります。婉容は溥儀と不仲になり臣下と密通します。それが露見して閉じ込められてしまいました。階段に通じる廊下にドアがありますが、今は開け放たれているこのドアがぴったりと閉められていたのでしょうか。寝室はとても豪華なベッドのある洋室ですが、いくら豪華でも閉じ込められていたのでは幸せな気分にはなれないでしょう。外出を許されない婉容は阿片におぼれていきます。寝室と廊下を挟んだ反対側の部屋には「吸煙室」があり、婉容が阿片を吸っているのを再現した蝋人形がありました。

緝熙楼(しゅうきろう)の後方にメインの建物その2「勤民楼」があります。やはり洋風の建物です。(写真右)
中庭があって、その周りを建物が囲むようになっています。2階の中庭に面した部分がテラスになっていて中庭を望むことが出来ます。ここは執務を取ったり公的な行事が行われた場所です。溥儀の玉座がある謁見室があります。謁見を待つ人の待合室もあります。身分によって部屋が分かれていました。
たくさんの人が会食できる食堂もあります。溥儀は自分だけ違うメニューで全て毒見をしたもののみ口にしたそうです。傀儡皇帝の溥儀がそんなに暗殺を恐れていたとはこっけいな気がします。もしかすると溥儀は傀儡であることに耐えられず、自分はそれだけ重要な人物だと周りに示したい、あるいは自分でそう思い込みたかったのかもしれません。…などと思ったりしました。

と、調子よく見学していたら突然携帯が鳴りました。音が響くのであわてて取ってしまいました。そうしたらなんだか強引な口調で話を始めるので、今ゆっくり話が出来ないと所にいるので…と断ったのですが、「重要な話ですので用件だけ」としつこく食い下がります。この調子だと強引に切ってもまたかけてきそうなので、「今はちょっと話ができない」ことを繰り返し言って終わらせようとしたのですがどんどんしゃべります。なんでも、以前受けた通信教育のことで、終了しなかったので追加の教材や受講料を請求される恐れがあるので権利の放棄の手続きをしなくてはなりません…とかいう話です。心当たりのある通信教育はもうずいぶん以前にレベルチェックに合格しないまま放置していたものがあったので、それかなと思ったのですが。
とにかく一方的にしゃべるし、今は話ができないと合間、合間に言っても聞かないのでしゃべらせておいたら、ついに話が見えてきました。受講の権利を放棄する書類を送るので、手続き料を添えて返信して欲しいということです。その「手続き料」がクセモノでした。「そういうことか」とわかったので「けっこうです」と断りましたが、このままだと追加の教材や受講料を請求されて、権利放棄の「手続き料」の何倍もの金額を支払わなくてはいけませんよ、と脅してきます。そんな手続きは必要ありませんと言っても繰り返し脅しにかかって「膨大な追加の受講料を請求されたらどうするんですか」と言うのに「かまいません!」と言い返したら、言い終わらないうちにブチっと切れました。
こんなところでしゃべってたら迷惑だったかなと思いましたが、中国人は所かまわず大声で携帯をかけてしゃべってるのでまあいいか。

今は話が出来ないというのにもかかわらず、あまりにも一方的にしゃべるので、海外にいるというヒマもないというか言う気がしなかったのでそのまましゃべらせておきましたが、後でその会社(?)の電話料金の請求に海外への通信料がかかっていて「?!?」になるかな?「誰が中国に電話したんですか?!」って。こちらも海外で受信したら一応受信料がかかってしまうんですが、あれだけしゃべったらかけた方の通話料がけっこう高くつくんじゃないかと期待しています。

さて、どれもたいして大きくない建物のわりに、部屋がたくさんあってイヤホンガイドを真面目に聞いてたら閉館時間にかかりそうになってきました。イヤホンガイドは閉館前に返さなくてはなりません。迷惑電話に時間を取られたこともあって、あとは大急ぎ。勤民楼の後方には懐遠楼。そのそばには溥儀が実際に乗っていたという自動車が展示されています。懐遠楼は1階部分は役所の部屋がありますが、2階には清朝歴代の皇帝の位牌が祀られている部屋がありました。
懐遠楼に接している建物では溥儀の生涯を写真や遺品で展示していました。かなりの量なので時間があったとしても見るのは大変。…そこまで溥儀にこだわりがあるとか追及したいとかいうわけでもないですし…。とりあえずざーっと見て周りました。
偽満皇宮、ナメてました。こんなに見所があるなんて。

さて、最後のハイライトは同徳殿。洋風建築に日本風の屋根を乗せた宮殿です。「ラストエンペラー」の撮影にも使われたというのがウリの大ホールがあります。どちらかと言えば小ぢんまりとした緝熙楼(しゅうきろう)に代えてここをメインの宮殿として使うように作ったそうですが、完成しても溥儀は盗聴を恐れて移り住もうとしなかったそうです。

ここで偽満皇宮の見学は終わりです。いえ、さらに奥に博物館が出来たらしいんですが、時間もないし疲れてきたので省略しました。
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