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2025年09月18日01:29

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トルコ旅行記(3)トロイ遺跡

トロイに向かうバスの中でガイドさんが説明してくれました。
トロイ遺跡を発見したシュリーマンですが、当時19世紀〜20世紀初頭は西洋人が世界中に出かけて行って「お宝探し」をしてた時代でした。シュリーマンも「神話の世界だと思っていたトロイは実在すると信じて発掘をした」というロマンチックな話が伝えられていますが、結局はお宝探しが目的でした。遺跡で発見した「プリアモスの財宝」はドイツに持ち帰られました。(後で調べたら、エルミタージュやルーブルに売ろうとしたこともあったらしい)。しかし第二次大戦末期、ソ連によって略奪されてしまいました。その後長らく行方不明になっていましたが、近年になって一部が公開されましたが詳細はまだ不明。

これを聞いて私は中央アジア探検の数々を思い浮かべました。特にドイツのル・コックはキジル千仏洞やベゼクリク千仏洞の壁画をはがして、はがして、はがしまくってベルリンに持ち帰りました。しかしその後ベルリンの空爆で多くが失われてしまいました。

では「トロイ戦争」とは何かというと。
神々の住むオリンポスで婚礼が行われたときのこと、戦いの女神だけは招かれませんでした。怒った女神はそこへ黄金のりんごを投げ入れました。りんごには「最も美しい女神へ」と書いてありました。このりんごをめぐって最終的に3人の女神が、自分が受け取るのにふさわしいと主張して対立しました。その女神はヘラ、アテナイ、アフロディテー。誰がふさわしいか…その審判を任されたのはトロイの王子パリスでした。パリスに対してアテナイは世界を支配する力を、アテナイは戦いに勝利する力を、アフロディテーは最も美しい女を与えると約束しました。つまりワイロですね。結局パリスは美女を選び、アフロディテーに黄金のりんごを渡しました。
で、その褒美とされた美女とは、スパルタ王の妃、ヘレネでした。パリスはアフロディテーの手引きでヘレネをさらっていきます。
そうしたらスパルタ王は激怒してトロイにヘレネの返還を要求して戦争が始まったのです。

こういった経過がホメロスの叙事詩「イリアス」に書かれているのですが、神々の物語となっているので神話の世界の話だと思われていたのです。だいたいさー、「美女を褒美にあげます」なんて言って、人妻をかっさらうなんてヒドイ話だ。

さて、ついにトロイの遺跡に着きました。遠くからでも大きな木馬が見えます。
入場ゲートに向かいますと。ゲートでガイドさんがスマホを差し入れて一人ずつバーを動かして入ります。…つまりチケットレスです。ということはチケットが手元に残りません。観光地へ行けばチケットと、たいてい一緒に簡単なパンフレットまたは「しおり」などがもらえるものですが、そういうものが全くありません。トルコ旅行の間ずっとそうでした。そういうの、寂しい…ペーパーレスの時代なので仕方がないらしい。

ゲートに入るとすぐ木馬があるのですが、あとで写真を撮る時間を作りますから先に遺跡を見ましょうと行って進んでいきました。まず大きい説明パネルがあります。(写真)そこには遺跡が何層も重なっている図があります。トロイの遺跡は紀元前3000年ごろにさかのぼる第1層からローマ時代の第9層までの遺跡の層が重なっているのです。第1層は小さな町で、火災で失われました。その後その上に新しい町が作られました。その後の地層も地震や戦争などで滅びては新しい町が作られる…ということが繰り返されました。

シュリーマンはシロウト考古学者で、むやみにこの遺跡を掘り起こして地層を破壊しました。発見したお宝も、トロイ戦争のものと時代が違うこともわかりました。現在ではトロイ戦争があった時代の地層は第7層だということもわかりました。しかしシュリーマンはこの地層を削ってさらに古い地層から見つかったお宝がトロイ戦争のものだと思い込みました。しかし実際はもっと古い時代のものだったのです。

遺跡は今も発掘中で、観光客は木材で作られた通路の見どころポイントをたどって一周するようになっています。
通路に入っていきますと、石の構造物がごろごろ転がっていて、いかにも「遺跡〜」という感じです。
昔は周辺の住民が遺跡の石を持って行って住宅などに使っていたそうです。どこでもよく聞く「遺跡あるある」です。
少し行くと通路がまっすぐになっている所がありました。まっすぐ行くと急に曲がります。敵が襲撃してきた時にスピードダウンさせる戦略です。この道沿いは石積みの壁になっていました。当時のものだそうです。(写真)
さらに進むと木材の道はだんだん上がっていきます。そうしたら高い所から外側が見渡せるようになっていました。昔はこの近くまで海が来ていて、住民は漁業をしていたそうです。

さらに進みますと、第何層だか忘れたんですが、日干し煉瓦の時代の構造が現れました。当時の日干し煉瓦の上に赤く色を変えた新しい復元の日干し煉瓦の壁が乗ってました。

あとはかまどの跡があったり、神殿のあとがあったり。
ローマ時代が一番最後でもあり、また大理石を使っているのでよく形が残っていました。柱やアーチの飾り、文字が書かれたもの、そして大きなアンフォラもごろごろ。
遺跡巡りの最後の方に劇場があります。半円形のすり鉢状の段々の客席がある、ローマ時代によくみられるものです。

そうして遺跡を一周して戻ってきました。ここからは集合時間を決めてご自由に、ということで、まずはみんな木馬の写真を撮りに行きます。後ろ足からおなかの所に階段があって登れるのですが登りませんでした。

私は近くに売店らしきものがあったのでそちらに行ってみました。ガイドブックとかパンフレットでもないかと思ったのですが、お土産ばかりでそういったものはありません。トルコ語の本がいくつか並んでいました。あとは英語でシュリーマンのことが書いてあるらしい本。
なんでパンフレットぐらいないのー!日本語とは言わない、英語でもいいから。

そうして集合時間が来てトロイの遺跡を後にしました。
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