最近バスツアーに行くことを覚えました。ちょうど1年前、奈良ホテルと吉野へ行き、今年の夏はフランスをテーマにした小さな美術館へ行きました。
そうして今回は十一面観音巡りです。旅程を見たら渡岸寺の十一面観音がある!室生寺もある!どれも前から行きたいと思いながら辺鄙な所にあるのでなかなか行けていなかったのです。ということで申し込みしました。
そうしたら、日本には国宝の十一面観音が7体あるそうです。それが大阪・奈良・京都・滋賀に渡っているので、7体全部見るツアーだったのです。全部なので1日では無理なので1泊2日。
ただ、実際は今年の8月に新しく国宝認定された十一面観音ができたので、7体ではコンプリートにならないということに…。
でも一度に7か所回るなんて自力では無理なので行った甲斐がありました。
まずは新大阪に集合して、大阪府の道明寺へ。
聖徳太子が創建した尼寺で、渡来人である土師氏の邸宅をもとに伽藍ができました。当時は土師寺と言いました。
時代は下って、菅原道真が大宰府に下向するときに、この寺にいた叔母の覚寿尼を訪ねたといいます。
道真は自ら十一面観音を刻んで寄進したと言われています。
そうして菅原道真の幼名「道明」が寺の名前になったとか。
でも、菅原道真が仏像を作った、ってことはないよね?
尼さんが解説をしてくれましたが、当時このあたりに住んでいた土師氏は技術者集団で、仏師もいました。そうした土師氏の集団が実際に十一面観音を作ったのだろうと。ただ、仏像は目を入れた時に完成となり、その目を入れた人が作者と言うことになるということで、菅原道真は最後に目を入れて仕上げたということではないか、ということです。
十一面観音は小ぶりですが、顔や体がふっくらとした量感のある像です。
荘厳具やお供え物が前に並び、その後ろの厨子に入っていますが、すぐ近くまで寄って見ることができます。厨子に入っているので後ろは見えません。厨子の後ろはお堂の裏の窓があり、その上に小さな薬師如来と十二神将が並んでいます。
厨子の裏に当たる壁には昔の道明寺の伽藍の見取り図があります。明治の神仏分離令と廃仏毀釈で多くのお寺が壊されたり僧侶が還俗させられたりしました。道明寺でもこの当時の伽藍の多くが壊され、「道明寺町」という町にされました。もともと寺域を囲むように堀が作られており、今も堀のなごりが見られるそうです。それを見ると昔の道明寺の大きさを知る手掛かりになるそうです。
こういったことを説明してくれた尼さんは、まるで自分がそこにいて理不尽な思いをしたかのような話しぶりでした。薩摩や長州の新政府は昔ながらの神仏習合も貴重な遺産も理解しなかったのだと、かなり避難がましい口ぶりでした。私はかねてより薩長中心の「新政府」には欺瞞を感じ、旧幕軍が賊軍扱いされたことに憤りを感じるようになっていたものですから、思い切り同調してしまいました。
さて、「道明寺」と言えば桜餅を思い浮かべる人もいるでしょう。
もともとはこのお寺でお供えのもち米を干し飯にして保存食として下げ渡したのが起源で、これが道明寺粉となり、道明寺粉を使った桜餅になりました。
どうやら関東では「桜餅」というのはまた違うものらしいですが、実物を見たことがないので、私にとって「桜餅」はもち米つぶつぶの道明寺タイプのみです。
写真はお堂と石碑。そして仏像は撮影できませんので、売っていた絵葉書の画像です。いい写真だな〜。すてきだな〜。
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