アニメ、ノベライズと来てついに「東方見聞録」本体に手を出しました。もともと持っていて、読んだことはあるので再読です。
私が持っている「東方見聞録」は、平凡社の東洋文庫全2冊。愛宕松男(おたぎ・まつお)訳注。
東洋史専攻の大学生だった時、図書館でも読めるのに、小さいとはいえハードカバーの、当時の私にとっては高い本をわざわざ買ったのはひとえに「マルコ・ポーロの冒険」のせい。
中央アジア史を目指してはいましたが、自分では古代すなわちトルコ・イスラム化以前のオアシス国家を専攻したいと思っていました。なのでマルコ・ポーロの時代はもう少し後になります。それでも買ってしまったというのは、やはりそれだけマルコ・ポーロに惹かれてしまったせいです。
東洋文庫版は注釈がとても詳しいです。訳注の愛宕松男氏は東洋史の学者で、巻末ではマルコ・ポーロの報告内容を当時の中国文献に照らして検証するのが趣旨だと書いてあります。
そして巻頭には「東方見聞録」の写本の系統の説明があります。原本は失われており、現存するのは「孫」世代の写本で、それぞれ内容に異動があります。異動の違いなどによって系統の近さ、遠さがわかります。研究者によってそれぞれの写本に記号がつけられ、海外も含めて研究が行われています。その研究成果をも含めて注釈に反映されています。
で、一回は読んでいるはずなのに忘れていますね。
先日アニメとノベライズで「マルコ・ポーロの冒険」を見て、改めてお父さんのニコロとおじさんのマテオはマルコが生まれる前にベネチアを出て、15年以上も帰ってこなかったって何をしていたんだろう、商人でありながら元まで行ってフビライに会うことができたなんてどういう経緯だったんだろうと思いました。
そうしたら、「東方見聞録」の冒頭に旅程のあらましが書いてありました。
ニコロとマテオは商売でコンスタンチノープルまで行きました。そうして、さらに黒海沿岸まで行けばもっと大きな商売ができそうなのでそこへ行くことにしました。そこは当時モンゴル帝国の一カン国、キプチャク・カン国の支配下にありました。そうしてしばらく滞在していたところ、イル・カン国と紛争が起こり、コンスタンチノープルに戻るのが危険な状態になりました。こうなったら前進してしまえー、と決心した兄弟はさらに東方へ。そうしてブハラまでたどり着きました。そこへフビライの使者がやってきました。兄弟のことを知って、フビライ・カーンはまだラテン人に会ったことがないので、両君がお目通りすればきっと喜ぶに違いない、そう言われてその気になり、フビライ・カーンのおわす大都(今の北京)を目指すことになりました。
そうして長い旅の後に大都にたどり着き、フビライに目通りし、キリスト教国のことをあれこれ尋ねられ、詳しく答えてフビライはいたく満足しました。そしてフビライはローマ教皇に親書をしたため、兄弟に託すことにしました。教皇からの返書をもらった上、キリスト教の奥義に通じた僧侶100名とキリストの墓の聖油を持って再び戻ってくることを命じました。それというのも、フビライの周囲にはイスラム教徒や仏教徒がいて、まじないや予言を行い政治に関与しており、果たしてキリスト教はそういった宗教に匹敵する力があるものか、それを示してほしいと願ったからです。
で、二人はまたもや長い旅を続けて教皇庁にたどり着いて親書を持って行ったところ、教皇は亡くなったばかりで次の教皇は決まりません。待ってもなかなか決まらないのでベネチアに帰ってみたら、ニコロの妻は亡くなり顔も知らない息子が15歳になっていた…というわけです。
しかしいくら待っても新教皇が決まりません。フビライが待っているのでこれ以上待てない、出発しよう、と思い定め、教皇庁から「教皇が決まっていません、ごめんなさい」というおわび書状と代わりの返書をもらって、聖油をもらうために聖墳墓のあるエルサレムをめざしました。そうして聖油を手に入れて前進しようとしたところへ新教皇が決まったという知らせを受けたので教皇庁に引き返しました。そして今度こそ教皇の親書を持ち、2名の僧侶をつけてもらって、ようやく元を目指して出発することに。
しかしこの2人の僧侶は砂漠の旅の過酷さに音を上げて、途中で逃げ帰ってしまいました。
このあたりから「マルコ・ポーロの冒険」に描かれた旅路になります。
しかし、「東方見聞録」には、マルコ自身が何をしたかはほとんど書かれていません。訪れた土地の産物、交易の状況などが書いてあるのは商人らしいです。あとはその土地の言い伝え、人々の宗教や習慣など。
なので「マルコ・ポーロの冒険」は、ほぼ創作のようです。本当によくあれだけの物語を考え、アニメにしたものだと感心します。
シルクロードの旅程は、つづりがいくらか怪しいところはありますが、まあまあ地名をたどることができます。バウダック=バグダード、トーリス=タブリーズ、など。ホルムズに行って海路を取ろうとしたらろくな船がなかったらしく結局陸路を取ったこと。
その中で出色なのは「山の老人」の逸話です。つまり暗殺者教団と言われるイスマイル派の一派で、ハシシュ(麻薬)を使って刺客を養成していました。この教団が各国の要人の暗殺をしたことで、フラグとムンケが討伐を始め、数度にわたって攻撃をしたのち滅ぼすことができました。ここまでの経緯が詳しく書かれています。ほとんど事実と照合するので貴重な記録です。
さらに、ソグディアナは通らずカシミールの高山の山越えをしてカシュガルに入り、ホータンすなわち西域南道を取ったこともわかります。
ハミを過ぎると河西地方に入っていきます。これ以降は地名が中国語になるので、照合が難しくなっていきます。
マルコ・ポーロは商売の必要もあって、ペルシア語、トルコ語、モンゴル語、アラビア語に通じていたそうです。しかし中国語は簡単な会話ぐらいしかわからず、漢字は全く解しませんでした。なので中国の固有名詞は全部聞き覚えです。
それは、当時のモンゴル宮廷では漢人は重用されず、モンゴル人のほか「色目人」と言われるイスラム教徒や西方の民族が要職を占めており、宮廷ではほとんど中国語が使われていなかったからだろうと思われます。マルコ・ポーロに中国史の概念があるはずもなく、元はフビライ・カーンの治める国。
都の大都は「タイドゥ」とも表記されますが、主に「カンバルック」という名前で記されています。「カンバルック」とは、トルコ語で「カーンの都」という意味です。
また、フビライは遊牧民であるため、夏は夏の都「シャンドゥ(上都)」に移動します。
大都にたどり着きますと、フビライ・カーン本人のことや、宮廷の様子などが詳しく書かれます。特に正月とフビライの誕生日には盛大な宴会が催され、その豪華な宴席の様子が事細かに記されます。元旦の祝典では皆白い衣装を着て、カーンには白馬十万余匹が献上され、、五千頭の象の行進が行われ、その後をラクダの行列が続きます。象もラクダも豪華な刺繍の布が掛けられ、カーンへの献上品を載せています。すべての皇族が出席し、重臣全員がカーンに拝謁します。その後宴席が設けられますが、皇族や重臣たちは決められたテーブルに着きます。そのほかの陪臣たちはたちはじゅうたんに座ります。広間の外にも四万人以上の人が集まります。あまりにもけた違いなので、こういったところが「ほら吹き」扱いされたのかもしれません。また狩猟の様子も詳しく書かれ、いずれもフビライの宮廷の内部にいた人間でなければ書けない描写です。
また都の様子も詳しく書かれています。立派な邸宅が立ち並び、珍奇高価な商品が大量にもたらされ、おびただしい商人や外国人が行き来します。
紙幣が流通しているさまも詳しく書かれています。
「黄金のパイザ」のことも書かれています。
(つづく)
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