ミュージカル「マリー・キュリー」は韓国のミュージカル。韓国では最近ミュージカルのレベルが上がっていい作品がいろいろ出てきています。なので日本での翻訳上演も増えてきました。
今回の作品は、キュリー夫人の伝記というわけではなく事実と創作を交えた物語だと言います。
マリーはパリのソルボンヌ大学を目指してワルシャワから汽車に乗ります。その時居合わせたのがやはりパリへ向かうアンヌ。
マリーはソルボンヌでただ一人の女子学生として、周りの男子学生からの嫌がらせにも耐えながら一生懸命勉強します。そこで出会ったピエール・キュリーと共同で研究を始め、ラジウムを発見して病気の治療など様々な用途に使われることを夢見ます。
苦難の研究の末ノーベル賞をもらう…というのではなく、ノーベル賞をもらうまでがテンポよく進んで到達してしまう。むしろその後の方が大変だった。
ラジウムはいちやく脚光を浴び、様々な製品に使われラジウムブームを巻き起こします。マリーはラジウムに関する特許を取らなかったため、誰でもラジウムを生産することが可能になりました。そしてマリーは病気の治療、特にがん治療に役立つ理論を考え出し、病院で臨床試験も始めます。
アンヌは紆余曲折の末ラジウム工場で働くようになりました。しかしそこで女工仲間が原因不明の病気で亡くなってしまいます。それからも他の女工たちも体調を崩していきます。
やがてマリーもラジウムが健康に害を与えるのでは…という疑惑を持ち始めます。
マリーは悩んだ末、ラジウムの健康被害を公表することを決意します。
後半、アンヌに冷たい言葉を投げかけられるマリー。そんな時、マリーは逃げたり言い訳をしたりせず、自分の思いをまっすぐに素直に吐露して見せます。二人の掛け合いの歌で互いの気持ちがぶつかり合います。そして、そんな風にごまかしのないまっすぐな気持ちは相手の心を動かすのだとわかりました。
マリーを演じた愛希れいかは熱演でした。研究にかける情熱も、アンヌとのやり取りも、本当に迫力がありました。
調べてみますと、1920年代にアメリカのラジウム工場で実際に女工たちの健康被害があり問題になったことがありました。それからそれが放射能によるものだということが少しずつわかっていったそうです。しかしそれはこの話よりも少し後のことです。マリー自身は放射能の被害についてあまり意識していなかったようです。当時の認識としてはそんなもので、ラジウムを扱うのに放射能を防御するという概念が全くなかったのです。
なので、実際に被害を受けた女工とのやりとりの部分が「フィクション」なのかなと思いました。そしてそれを公表した、というのも。しかもそれがこのミュージカルのクライマックスに据えられているというのが、フィクションとしての「マリー・キュリー」ということのようです。
マリーは晩年は再生不良性貧血を患って亡くなりました。
しかしラストではマリーの功績が次々と紹介され、ラジウムの発見と利用に情熱を注いだ人生は無駄ではなかったことがわかりました。
科学には疎いので、マリー・キュリーのことは詳しくありませんが、放射能の害がよくわかっていなくてものすごく無防備に研究していたらしい、というのはなんとなく知っていました。
しかし検索してみたらいろいろ出てきますね。本当に無防備すぎて、ラジウムブームの当時はみんな平気で素手でさわっていたらしい。マリー・キュリーが残した手書きの研究ノートは今でも放射能を放出していて、厳重に管理されているとか。…恐い。
しかし、マリーの功績もまた偉大で、論文の質は非常に高く、研究方法ものちの科学研究に大きな影響を与えており、単に「女性初」というタイトルだけではなく真に研究者として高い評価がされているとか。ラジウムを発見するための実験って本当に大変だったんですね。しかもその間に子供を産んで育てて…。
結局「マリー・キュリーは偉大な人だった」ということがよくわかりました。
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