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2019年01月07日00:59

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福島旅行記(10)会津武家屋敷

バス停まで戻ってきて時刻を見ますと、出たばかりで次は30分後。しかし、さっきは遅れてきたのでもしかすると遅れてくるならまだ来ていないのかも?どうしようかと思いましたが、次の目的地・会津武家屋敷は次のバス停ですし、歩いても行けそうな気がします。それで進行方向に向かって歩き出しますと…後方から車の音がします。振り向いたらバスが来た!あわててバス停まで戻って乗り込みました。

会津武家屋敷のバス停に到着。

会津武家屋敷は、鶴ヶ城前にあった、家老の西郷頼母邸を復元したものです。江戸時代が好きな歴オタなら舞い上がって喜ぶかもしれませんが、私にはいまいち興味が持てません。しかし時間を見ると、ここから迷いながら松平家墓所に行くよりは、目の前の武家屋敷に入ったほうがいいかも…と思いました。

この武家屋敷は江戸時代中期の家老の豪壮さがうかがえるもので、敷地面積二千四百坪、三十八の部屋があるということです。
順路に従って入っていきますと、表門から表玄関に入ります。そこから横の方に入ると「御成りの間」があります。お殿様が来た時にお通しする部屋です。お屋敷本体から渡り廊下でつながっていますが独立した棟のようになっています。お殿様、松平容保とおもてなしをする西郷家の人たちが配置されて、当時を再現しています。部屋に上がることはできず、外から見るだけです。その裏にはお殿様専用の厠。裏からお屋敷本体を見て行きます。奥の間、子供部屋、女中部屋などがあります。
広い台所もあります。土間があって、炉があって、料理をする場所、配膳をする場所。

2階建ての白壁の土蔵もありました。中は資料館です。ガラスケースの中に会津関連のいろいろなものが展示してあります。
展示の最後の方で、秩父宮妃のことが紹介されていました。
松平容保の六男でアメリカ大使だった松平恒雄という人がいるのですが、この人の長女・節子が昭和天皇の弟である秩父宮のお妃になったのです。松平容保の子孫が天皇家と親戚になる…これはもう朝敵・逆賊ではないという証しではありませんか。婚約の知らせが伝わったとき、会津は喜びに沸き立ちました。
結婚後、節の字が皇太后すなわち大正天皇の皇后、秩父宮の生母と同じ文字なので勢津子と改名し、秩父宮妃勢津子殿下となりました。

八重もこの知らせを聞いて喜び、歌を残しているそうです。

いくとせか みねにかかるるむら雲のはれてうれしき光をぞ見る

その先の建物は第二資料館ですが、ここでは西郷頼母の家族の自刃の様子が再現されています。西郷頼母の母、妻、妹たち、幼い子供たちが白装束で自刃したところです。後ろの屏風は逆さ屏風になっています。自刃をするときはさかさまにするものだそうです。
西郷頼母邸は、鶴ヶ城への道で見たようにもともとお城のすぐ前にありました。西郷頼母と長男が戦いのために屋敷を出た後、鶴ヶ城では籠城の合図の鐘が鳴りました。しかし西郷家に残った女たちはお城には入らず自害しました。その時、会津城下に入ってきた新政府軍はお城の前の広大な屋敷が妙に静まり返っているのを見て、伏兵が潜んでいないか警戒しながら様子を見ました。しかし本当に人がいないらしいとわかり、その中で一人の土佐兵が屋敷に入りました。そうしたら西郷家の人たちが自害していたのです。しかしそのうち若い女が懐剣をのどに突き刺したものの死にきれずにいて、人の気配を感じてかすかな声で「敵か、味方か」と問いました。その土佐兵は彼女を騒がせないようにと思い「味方だ」と答えました。女は弱った手で懐剣をまさぐり死のうとしているのを見て哀れに思い、介錯をしてやったという話が伝えられています。この自刃の間でも隅の方に土佐兵が立っていました。この土佐兵は名を中島信行と言い、のちにこの時のことを回想して伝えられることになりました。等身大の人形で再現されていますと、この時に悲惨な様子がひしひしと伝わってきます。

さて、「八重の桜」では西郷頼母は西田敏行が演じていました。若い松平容保(綾野剛)に対して父親ほども年の離れた家老です。てっきり年老いた家老が若い藩主をいさめている…といった状態なのだと思い込んで見ていました。しかし後でわかったのですが、なんと西郷頼母は松平容保と5歳しか違わなかったのです!
戊辰戦争の時、容保は33歳、頼母は38歳。西田敏行、30代とは無理がありすぎる〜〜〜〜!
そうか、それで妹たちは20代、娘たちは16歳を筆頭に末っ子は2歳。頼母と行動を共にした長男・吉十郎は11歳。
さらに妻の千重子は34歳、母は58歳。
しかも「八重の桜」の最終回には長いひげのおじいさんで出てきます。まだ生きているなんて、この人一体いくつなんだろうと思いましたが、この時こそ本当におじいさんになっていたのですね。
なんで西郷頼母を西田敏行にしたんだろう…。若い藩主と若い家老のやりとりだとドラマのイメージが変わるー。

ここでお屋敷本体は終わりですが、さらに敷地にはいろいろな建造物があります。旧中畑陣屋が移築されているとか、鶴ヶ城の茶室を再現したとか。会津くらしの歴史観とか。ほとんど流して見ただけ…。
本当に、ロワールのお城に行ったときとテンションの違いったら…。

そうして出口まで来ました。お食事処などがあります。さらに広くてきれいなお土産屋さん。お土産屋さんは楽しかったです。お土産のお菓子もいろいろあるので必要なお土産をいくつか調達しました。書籍類もあり、「新島八重の生涯」なんて本があったので買ってしまいました。白虎隊のキーホルダーも鶴ヶ城の金のしおりも買ってしまった…。

時間を見ますと、やはり松平家の墓所へ行くのは無理なようです。白虎隊の自刃の地、飯盛山へ行かなくてはなりません。

バスの時間を見ると少々待たなくてはいけませんでした。お土産屋さんや外の売店で時間をつぶして待ちました。
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