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2019年01月06日00:13

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福島旅行記(9)近藤勇の墓

お城の正面のバス停でバスを待っていますと、日差しが当たって暑くてたまりません。寒さ対策は考えたのに、こんなに暑くなるとは。日傘が欲しい…。
バスは少し遅れてやってきました。
行先は会津武家屋敷と松平家墓所です。そののち近藤勇の墓に行こうと思いました。そう、新選組局長の、あの近藤勇です。しかしここまでで予定以上に時間を取っているので、バスに乗りながら優先順序を考えました。武家屋敷はバス停の前らしいですが、そこから近いはずの松平家墓所は道順がいまいちわかりません。ウロウロして時間をつぶしたらもったいない…ので、優先順位を考えると近藤勇のお墓には絶対行きたい、なのでそちらを先にすることにしました。それから会津武家屋敷に行き、余裕があったら松平家墓所へ行こう。

近藤勇の墓は天寧寺にあります。会津武家屋敷の手前に天寧寺へ行けるバス停があります。そこで降りて天寧寺を目指しました。そうしたら、上り坂になっています。車が通れるヘアピンカーブ。そこを登ったら駐車スペースがありました。そしてお寺の建物があって、近藤勇の墓の案内板があります。
徳川慶喜は鳥羽・伏見の戦いに敗れてさっさと江戸に戻ったのですが、新選組もそのあとを追いました。そして東進してくる新政府軍と戦いましたが、局長の近藤勇は捕えられて首をはねられました。切腹すら許さなかったという薩長の非情さ。その首は京都の河原にさらされました。しかし何者かがその首を持ち去り、会津まで運んできたそうです。それで、会津に近藤勇の墓があるのです。土方歳三が会津にいた時に建立を願ったとか、松平容保が戒名を付けたとかいう言い伝えも。
建物の向こうに墓地があるので、そこにあるのかなーと行ってみますと、さらに「近藤勇の墓」の方向を示す案内が。もっと奥?と思いながら進んでいきます。

そうしたら、どんどん山道に入っていきます。なかなかたどり着きません。もう山登りです。何かの間違いかと思ったころに、またもや近藤勇の墓の方向を示す札が現れます。先の方を歩いている人もいます。ひたすら山登り。相当登ってやっとたどり着きました。
大きな墓石に戒名が書かれています。
そしてそのわきに木製の慰霊碑が立っています。土方歳三の!!
後で調べてみますと、土方歳三の遺体は実は行方不明なのです。土方歳三は会津が敗れた後もさらに北上して抵抗を続け、旧幕臣たちと共に蝦夷までたどり着きました。しかし新政府軍の激しい攻撃に遭い、五稜郭で壮絶な戦死を遂げました。しかしその後遺体がどこへ行ったのかよくわかっていないのです。土方歳三は最後の戦いの前に小姓に写真と遺品を託して故郷に送ったのですが、故郷の日野では遺体のないまま墓が作られました。

なぜ遺体が見つからないのか、いくつかの説があります。
・新政府軍の攻撃が激しい中で正式に埋葬することがかなわず、せめて新政府軍に遺体が渡らないように急いで誰かが隠した。近藤勇のようにさらし首にされる可能性もありますので。
・激しい攻撃に旧幕軍は死屍累々で充分な埋葬ができず他の遺体と紛れてしまった。
・または埋葬はされたが、なにしろ賊軍ということで密かに埋葬されたので敗戦の混乱もあって正確な場所がわからなくなってしまった。
・さらに暗殺説。五稜郭では新政府軍の激しい攻撃に勝ち目はないという空気が広がり、降伏するか否かという状況になっていきました。しかし土方はあくまでも徹底抗戦です。これでは犠牲者が出るばかりだと、降伏推進派の誰かが邪魔になる土方を暗殺した、という説があります。それで、暗殺の証拠が見つかるのを恐れて遺体を隠した。

なのでこれもお墓ではないのですが、幼なじみで新選組を結成して共に戦った盟友の隣に慰霊碑がたてられているのを見て、しみじみとした気持ちになりました。
新選組も会津と同じように徳川将軍に誠を尽くしただけなのに、賊軍扱いされてこの仕打ち…。

そうしてもと来た山道をひたすら下ります。登るのも大変な道は下りるのも大変です。
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