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2017年04月03日01:47

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中国王朝 よみがえる伝説〜趙姫まで見直し

「悪女」と言われた女性を見直すシリーズになっているようですが(楊貴妃が入っているのはちょっと違うような気が…武即天の方がふさわしいような)、最後は趙姫の見直し。

趙姫はいくらなんでも言い訳はできないだろうと思っていましたが、これが出てくる、出てくる、意外な事実。もともと趙姫については司馬遷の「史記」の記述をもとに解釈されてきました。解釈と言うか、事実として書かれていることがかなりひどい。

趙姫は趙国の踊り子でしたが、秦の王子に見初められてお妃になりました。しかし、秦の王子は子供が生まれた趙姫を趙の国にほったらかして帰国。やがてその王子が即位して荘襄王となると、趙姫は子供を連れて趙国を脱出して荘襄王のもとへ。しかし数年で荘襄王は死んでしまい、子供の政が王になりました。(のちの始皇帝)。しかしまだ13歳と言うこともあって、母の趙姫が政治の実権を握りました。その時、宰相に取り立てたのが趙の呂不韋。趙姫は呂不韋と不倫関係にあり、史書には愛欲の限りを尽くしたように書かれています。しかし、西の僻地の秦では中原地域とは異なる習慣がありました。まず秦では歴代の王が幼少の場合、母が政治を執るのはあたり前のことだったそうです。しかも、始皇帝の祖母の墓が発掘され、夫との合装ではなく独自に巨大な墓を作るほどの権力があったことがわかりました。
そして、女性は夫が生きていれば他の男と通じたら罪に問われますが、死んでからなら罪にはなりません。趙姫は未亡人だったので、呂不韋と通じるのは悪いことではなかったらしい。

浅田次郎が言うには、「史記」は無類に面白い。なんでこんなに面白いのか。私は単純に中国史がそれだけ面白いということかと思っていましたが、浅田次郎は、司馬遷は事実に基づいたことを書いてはいるものの、登場人物の心情など絶対話を盛っている!と言います。

なので、趙姫の愛欲話もかなり脚色されている可能性があるわけです。

呂不韋のあと愛人になった嫪毐(ろうあい)と子供を儲け、その子供を政に代わって王位につけようとしたという嫪毐の反乱が趙姫の一番の罪とされますが、これも疑問があるということです。政は嫪毐の先回りをして反乱の罪を着せて処刑したらしい。
(でも嫪毐は宦官と偽って後宮に入り、趙姫との間に子供を儲けたというのはやっぱり罪に問われることだと思うのですが)。

趙姫は幽閉されましたが、のちに始皇帝が自ら母を訪ね、宮殿に呼び戻しました。趙姫はそこで天寿を全うしました。そのころ、始皇帝は周辺諸国を次々と征服して天下統一を進めていました。そして趙国を滅ぼした時、母を苦しめた人たちを生き埋めの刑に処したそうです。
父に見捨てられ、趙国で不遇の暮らしをしていた母との思い出を忘れなかったのでしょうか。
…なんて聞くと、趙姫と始皇帝の関係も見直しが必要だと思わされます。

さて、秦は始皇帝の死後間もなく滅びます。それは2代目の胡亥がバカすぎたわけですが、秦が滅んだあと漢が天下を統一しました。そして武帝の時代に儒教の教えが国の基盤となりました。司馬遷も武帝の時代の人です。儒教の教えは秦のモラルとは全く逆です。女性は三従を強いられ、家を守るものとされます。趙姫のような女性は許しがたいものと思われるようになったのでしょう。
そして儒教の教えは清朝が滅びるまで中国の思想の基盤となっていたのです。

そう思えば、共産中国が成立後しばらくは孔子が徹底的に批判されたのもよくわかります。
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