いつ買ったかわからないぐらい積んでいた中国語の本です。一応少年向けの伝記シリーズなんですが、かなり字が詰まっているので中学生以上ぐらいでしょうか。中国史上でも特に名君と言われる康熙帝のことを知りたいと思っていたんです。
康熙帝は清朝四代皇帝で、初めて北京で生まれた皇帝です。清朝は初代ヌルハチが後金を興して瀋陽に宮殿を築き、2代目ホンタイジは国号を「清」として中国本土への侵攻を目論見ながらも果たせないまま病死。息子は幼く、即位はしたものの叔父のドルゴンが摂政となりました。この順治帝と摂政のドルゴンの時代に北京に入城を果たします。
しかし順治帝も若くして死に、その息子が8歳で帝位を継ぎます。これが康熙帝です。最初は4人の摂政が付きますが、そのうちの一人が他の3人を陥れて専横な振る舞いをするようになりました。しかし康熙帝は14歳になるとその悪行を暴いて親政を始めます。
康熙帝は子どものころから真面目で勤勉でしたが、康熙帝を厳しく教え導いたのは孝荘太皇太后でした。ホンタイジの妃の一人でしたが、康熙帝の実の祖母ではありません。清朝ではヌルハチの時から妃を同盟していたモンゴルから迎える習慣があり、孝荘太皇太后もモンゴル人でした。そのため康熙帝はモンゴル語にも親しんでいたと言われます。この太皇太后が本当に康熙帝を厳しく教え諭し、立派な皇帝になるべく導いたのです。勉学に励むことはもちろん、皇帝としての勤めを説き、満州族の誇りを持って騎馬と騎射の訓練を怠らないよう教えました。康熙帝も太皇太后の言いつけを守り、孝養を尽くしました。ばあちゃんも偉かったけど、孫も聡明だったのですね。
中国語の歴史の本を読むと、どうも年代順には行かないことが多いです。年代をたどるのではなく、テーマ別に章立てされていることが多いです。これは正史が紀伝体で書かれてきた伝統でしょうか。編年体は中国人にはなじまないのかと思います。
この本でも、康熙帝が即位するまでは年代を追って書かれているのですが、その後はテーマ別になっていきます。
まず康熙帝が始めのころに悩まされた漢人中心の反乱、三藩の乱。8年に及ぶ乱の顛末が延べられます。
それからロシアとの関係。北部の少数民族を圧迫し侵略するロシアに対する数々の政策、交渉。ロシアの支配に抵抗するため、東北部の開発にも積極的に乗り出します。これはやはり満州族にとって東北部は祖先の地だということがあるのかもしれません。もしこれが漢人の王朝だったら、東北に対してあまり積極的な開発に乗り出すことなく、もっとロシアの侵略を許していたかもしれない…と思ったりしました。
それから、モンゴル関係にはかなりの章を割いています。モンゴルとは古くから同盟関係にありましたが、モンゴルはジュンガルのガルダンに襲撃されます。そこから康熙帝のガルダン攻略が始まります。チベット問題まで巻き込んでいきます。
これもまた、清朝が満州族であるということが大きくかかわってきます。漢人にとってはモンゴルは漠北、辺境の地ですが、満州族にとっては親しい間柄です。康熙帝はガルダン討伐のため3回の親征を行います。
それから、康熙帝の政策の数々。生活は質素・素朴で贅沢を嫌い、常に民のことを考えて行動します。
勉強熱心で、西洋から来た宣教師や学者を重用し、西洋の学問まで習得します。数学や天文学を学び、ラテン語まで学んだとか。種痘のことを知って広く受けさせたとか。西洋人の名前が全部漢字なので、本当はどういう名前なのかよくわからないことが多いですけれど。
つくづくすごい皇帝だったんだなあ、と思います。よくこれだけいろいろなことをできたものだと。
ただ、いいことづくめだけではなく、鉱山の開発や海洋貿易について禁止したり解禁したりして国を混乱させたりしたこともあったようで。
さらに、後継者争いに悩まされます。康熙帝は妃嬪も子どももたくさんいましたが、長男は身分の低い妃から生まれたため、皇后が生んだ次の息子が皇太子になりました。皇太子は未来の皇帝にふさわしい教育を受け、周りからも聡明さを讃えられるようになります。しかし、しだいに贅沢を好み、不遜な様子を見せて行きます。康熙帝は悩んだあげく、ついに廃太子を決意します。
しかし結局次の世継ぎをなかなか定めることができません。そのうち皇子たちの間で後継者争いが激しくなっていきます。見かねた康熙帝は廃太子を復活させますが、やはり素行不良でまたもや廃し…。
結局死ぬ間際に第四皇子を世継ぎに決めたらしい。康熙帝がどの程度はっきり意思表示をしていたのかよくわからない点もあるようですが。
しかし、この第四皇子は雍正帝となり、康熙・乾隆と並び称される名君の狭間にあって、実は有能な皇帝ではあったようです。
康熙帝は西洋人を多く登用していたため、西洋人も康熙帝の事跡をいろいろと書き残しています。いずれも康熙帝の名君ぶりを伝えています。そのこともあって、最後の総括で、同時代の西洋の君主との比較も書いてありました。イギリスのチャールズ2世、フランスのルイ14世、ロシアのピョートル1世。日本人も後藤末雄というひとが「康熙大帝とルイ14世」と言う本を書いているらしいですが、その中でも結論は、康熙帝の方が偉大、ということでした。
康熙帝のことを詳しく知ることができておもしろかったんですが、それぞれの事跡がテーマ別に記述されているので、年代的に何をしたのが同時期なのか、わかりにくいまま終わってしまったのがちょっと残念。
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