mixiユーザー(id:1362523)

2015年05月24日22:40

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今日はペンテコステだったんですが

ペンテコステって「50」という意味だったんですね。
「ペンタゴン」に通じる言葉ですね。

キリストが復活して50日後に弟子たちに精霊が降り、各国の言葉で教えを広めはじめたということで、教会が誕生した日ともされます。

で、その部分の聖書の記述、使徒行伝(使徒言行録)を見ますと、その弟子たちが語り始めた言葉を聞いて周りの人たちが驚きます。
といいますのも、そこにいたのは

パルティア、メディア、エラムからの者
メソポタミア
ユダヤ
カパドキア
ポントス
アジア
フリギア
パンフィリア
エジプト
キレネに接するリビア地方などに住む者
ローマから来て滞在中の者
ユダヤ人
ユダヤ教への改宗者
クレタ
アラビアから来た者

これらの人たちがわかる言葉で話し始めたからです。

この箇所は毎年ペンテコステのたびに取り上げられるので知ってるつもりでいましたが、今回改めて気が付きまました。つまり、このころのエルサレムにはこれだけたくさんの所からたくさんの人が来ていて、それぞれ違う言葉を話していたということです。

パルティアは現在のイラン、古代ペルシアの王国のひとつ。メディアは古代オリエントにあった王国でしたが、この当時は民族や地域の概念として残っていたということでしょうか。
「アジア」は小アジアですね。ポントスは黒海南岸。フリギアはアナトリアの一地方でギリシア神話にさかのぼる地名で、旋法の名前にもなっている所。パンフィリアは調べてみると、小アジア南部にある地域らしい。リビアは北アフリカで、そこに接する地名としてキレネがあります。
この時代はエルサレムはローマ帝国領ですから、ローマから来ている人もたくさんいたでしょう。
クレタは独立した地域として認識されていたということでしょうか。
そしてアラビアは、まだイスラム教が起こる前の多神教の時代で、海沿いの地域が貿易で栄えていました。

一民族一言語一国家と思い込みがちな日本人にとって、これだけたくさんの地域から言葉の違う人々がいっぱいいる状況は想像しにくいです。でもこのあたりの地域では、言葉も宗教も違う人たちがまわりにいるのが当たり前だったのですね。それは現代にいたるまで変わらない状況だと思います。またこういった地域では二言語三言語しゃべる人は珍しくありません。ただ、そこにいた人全員がわかる言葉で話している、というのはやはり驚くべきことだったのでしょうけれど。

中近東のことを考えるには、日本人の感覚ではなく、こういった状況で民族や宗教が混在していることを考えに入れなくてはいけないと思います。そもそもこういった地域で民族や宗教で国境線を引くのは不可能なのです。国境線はあくまでも行政区画なのです。

ペンテコステにあたって、こんなことを考えました。
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