二、 大谷文書
旅順博物館が収蔵する「大谷コレクション」のうち最も数の多いのは新疆と甘粛の両地域で発見された紙文書で、現在では「大谷文書」という学術用語ともなっている。旅順博物館の大谷文書は四部分から成る。
一つ目は当時の社会生活各方面の社会文書の書類で、新疆地区特有の熱くて乾燥した気候条件によって完全に保たれたものが多いが、ただし多くは二次使用として埋葬の時に紙靴・紙棺・壁画などの副葬品として使われたものである。
また敦煌の蔵経洞で廃棄された文書は破損した経巻の修理に使われたものである。社会文書の内最も有名なものはクチャの千仏洞で発見された「唐建中四年孔目司帖」(図3.14)である。亀茲地区の「白俱満失離」という人物の記録で、布を納めて夏の使役の代わりとする事情が書かれ、唐代の新疆の収税状況を表している。
二つ目は、新疆の古代シルクロードの南北道で発見された漢文仏典の断片で、トルファン地区を主として合わせて2600個余りの断片がある。そのうち最も学術的価値が高いのは、西晋の元康六年(296年)の「諸仏要集経」の断片14片である。小さな断片とはいえ世界で最も早い時期の漢文写本であり、初期の仏教経典の翻訳や書写の歴史の貴重な史料である。
学術価値のさらに高いものは、承陽三年の「菩薩懺悔文」の断片3片である。承陽は沮渠氏北涼(397-439年)で使われた年号だが、歴史の典籍に見られない年号で、ただ「承陽二年」の記述がトルファン出土の戸籍文書(ドイツ蔵)と奉納石塔(酒泉で発見され、酒泉博物館収蔵)にあるのみで、旅順博物館収蔵の断片は単に「承陽三年」の年号を使った唯一の資料であるばかりでなく、北涼の年号の使用を修正するための第一の材料である。さらに仏教学から見ると、この写本は早期の菩薩戒律と禅思想研究の貴重な資料である。
三つ目は、敦煌蔵経洞の仏典である。大谷光瑞がもたらした敦煌の経巻はチベット文を含めて700件以上あり、そのうち失われたものもあるが、1954年に当時の文化部文物局長王冶秋の承認を得て620件の経巻(漢文410件、チベット文210件)が文化部社会文化事業管理局(現在の北京国家図書館)に引き渡された。旅順博物館ではわずか10件のみ保存され、このうち後周の顕徳六年(953年)の「六祖壇経」は世界でたった3冊しかない完全な敦煌の「壇経」のうち最も学術的価値が高いものであり、禅宗の研究分野に於ける「宝典」といってよい。
四つ目は、西域語の文書である。西域語とは古代新疆各地域で用いられた各種の言語の総称で、ホータン語、トカラ語、突厥語、古サンスクリット語などがある。
当時の新疆地域では行政語は漢語であったが、民族分布が多岐にわたり、地域ごとに独自の言語を使用していた。特に仏教経典が中央アジアに伝わった時、まずこの地域が中継地となって現地の言葉で訳され、それから中原地域に伝わった。また仏典が漢文に訳されてから再び新疆に入ったこともあり、現地の人が現地語で読経や注釈をしたものと両方の言語の経典が使われた。これらの西域語の仏典の断片のうち、現在「妙法蓮華経」が古インドの原典に最も近いサンスクリット語の写本であることが判明した。
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