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2015年05月04日00:47

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「大谷探検隊の軌跡をたどる旅順の旅(14)

次に行ったのは水師営です。
水師営は日露戦争でロシアのステッセル将軍が降伏の会見を申し入れ、乃木大将と会見をした場所です。小さい素朴な農家で、急遽会見のために近くの家がセッティングされたのでしょうか。

実は、その農家はのちに取り壊され、現在見られるのは資料を基にそっくりに再現したものです。ただし、農家の横の方にあるナツメの木は当時のものだそうです。ステッセル将軍は、自分が載ってきた白いアラブ馬を乃木大将に贈ったのですが、その馬をつないだのがこのナツメの木だそうです。

中央部に入口があって、左右に部屋があります。向かって右の部屋の壁には当時の写真がたくさん並べられています。会見時のロシア人と日本人の集合写真もあります。ついでに、日露戦争で現地の農民が被害を受けたという説明のある写真もあります。

向かって左の部屋の隅に棚があって、大連〜旅順の名産だという琥珀の装飾品や、当時使われていたとかいう小皿とか並べてあって、日本語で解説をする中国人の売込みが。

それからすぐそばのレストランで昼食です。旅順料理と言うことで、現地の素朴な雰囲気のレストランです。
そのすぐそばにお土産屋さんがあり、お土産ひやかしタイムも。
このお土産屋さんがかなりアヤしいものがいろいろ置いてあって、けっこうおもしろかったです。日露戦争当時の新聞記事が貼ってあったり、李香蘭など昔の女優のポスターがいくつか。また、骨董なのかガラクタなのかわからない、ガラスや陶磁器など。また、当時のグラフ誌なんかがガラスケースに入っていたり。日露戦争に興味があったらほしくなるかも…。
普通にお土産として買える装飾品などもありました。また、大連の古写真の絵葉書もありました。日本語で「昔の大連の面影」なんて書いてあって、大連を写した写真となると洋館も多いので、中を見てみるとつい心惹かれてしまい、購入しました。

この後は日露戦争の激戦地として有名な二〇三高地です。標高が203メートルなので二〇三高地。
バスから降りると、坂道を登ります。でっかい解説パネルがありまして、日中露で書いてあります。やっぱり「中国を侵略した日本とロシアの帝国主義云々」と書いてあります。日本では「満蒙は日本の生命線」などと言われ、ロシアの南下を防ぐことは重要な「防衛」だったのですが、結局戦争はなんでも最初は「防衛」なのです。「侵略するぞー」なんて始める戦争はありません。日露戦争は、結局は日本とロシアによる中国東北分捕り合戦だったのです。しかし日本人の中にはそれを正当化するために「あそこは中国の一部ではない」なんて言う人がいます。日露戦争当時は清朝の時代だったのですから、東北部は清朝の父祖の地です。

ついでに、「満洲」という言葉は日本人にはなんとなく郷愁を誘う言葉で、大陸のロマンを感じさせます。ですから今の中国で「満洲」という言葉を禁じているのが納得いかない人も多いです。
しかし、「満洲」という言葉は本来は地名ではないのです。

宋代に中国東北から興って金を建てた女真族は、中国の北半分を征服します。しかしその後元に滅ぼされ、東北部に退いていました。元が滅んで明が成立してからも、女真族は東北部を支配する辺境の民族で、さらにその下にいくつかの部族に分かれていました。
その女真族の中で支配力を強めたのが「マンジュ五部」です。そのマンジュ部の中からヌルハチが出て、マンジュ五部を統一します。やがてヌルハチは女真を統一し、後金を建てます。やがてその子孫が中国を征服して国号を「清」として、「マンジュ」に「満洲」という漢字を当ててました。「満州」とは清朝の王族のことであって、決して地名ではないのです。

ということもあって、日本人が「満洲」を地名にして呼ぶことについて、中国側には了承できないということがあります。もちろん「満洲帝国」という国の存在も認めていません。「満洲帝国」は世界的にも承認されなかったので(そのため日本は国際連盟を脱退した)、それは仕方のないことでしょう。

で、二〇三高地ですが、坂道をずっと登って行きます。上の方にたどり着きますと、弾丸型の記念碑が立っています。日露戦争後にこの辺りに散らばっていた砲弾などを集めて作ったそうです。「爾霊山」という字が刻まれていますが、これは「二〇三」の意味です。
日本軍は、旅順攻略のためにこの高台を奪取しました。そしてこの高地から旅順市内に向けて砲撃したのです。確かにここからはとても見晴らしがいいです。少しもやがかかっているので、下の方はかすんでいますが、天気が良かったら海が見えることもあるらしい。

記念碑から横の方に少し高くなったところがありますが、そこへ行く途中にロシアの塹壕あとがあります。乃木大将の息子は、この高台を奪取する際にここで戦死したそうです。
そして少し高くなったところに行きますと、砲台跡がありました。やはり高台を占領したもの勝ちということで、ここから砲撃をしたのです。バカでっか〜〜〜い大砲がドン!と据えられていました。当然レプリカですけれど。本物は射程距離が8kmあったとか。

そうして見学は終わり、坂道を降りてバスに乗りました。旅順観光は終了です。大連に戻ります。
やはり旅順観光はついてきた意義はあったと思います。しかし写真が枚数も少なくいまいちやる気なさそうな感じがにじみ出ているような気がします。
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