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2015年04月30日00:33

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大谷探検隊の軌跡をたどる旅順の旅(13)

「普通の旅順観光」の最初は東鶏冠山北堡塁(とうけいかんざん・ほくほるい)です。ロシアの要塞跡です。
日本軍はここに総攻撃を行うも部隊は全滅。その後トンネルを掘って地下から爆撃し、双方に甚大な被害をもたらした激戦の末に陥落しました。

銃弾の跡らしい細かい穴がたくさん散らばっている塹壕が続いていて迷路のようです。奥の方へ進みますと、兵舎の跡や電信所などがありました。荒れた石造りの壁が続く兵舎はそれだけで戦争の悲惨さを感じさせます。ツアーの人たちも「戦争はいけないねえ」としみじみ。
戦争後に日本人が建てた立派な記念碑が立っていました。

次に日露監獄旧址へ。
最近外国人に開放されたそうで、ガイドブックにも載っていません。もともとロシアが建てた監獄を、日本が引き継いで使ったもののようです。中国側では「帝国主義による侵略の歴史を記録するため」復元改修をして一般公開しています。それは、そもそもは中国国内向けの教育機関としての意味があったわけで、そのため外国人が見学しに来ることは念頭になかったんじゃないかと思います。
修復されて、正面入り口はピカピカにきれい。

監獄に入りますと、長い廊下の両側に小さい部屋が並んでいます。頑丈そうな扉の窓から見ますと、靴だけが二列に並べられています。この小さい部屋に平均6人の囚人が入っていたとか。
そこから出ますと、独立した部屋が一つ。ここは安重根の独房だったところです。
安重根は、ハルビンで伊藤博文を暗殺した後ただちに捕えられましたが、その後この監獄に送られ、死刑になりました。
さらに移動しますと、看守が立つ台があって、そこから放射状に廊下が伸びていています。獄舎を一度に見渡して監視できるようになっているわけです。最初に見た獄舎といい、明治村で見た金沢監獄を思い出しました。

監獄には医務室もありました。そのほか作業室や機材など。拷問室もありました。
教誨室もありました。大きくて立派な仏壇が置いてあります。ここの教誨師をしていたのが本願寺の僧侶で、この監獄と本願寺はつながりがあったということです。

また、ここに囚われていた人たちの写真や経歴を記した解説パネルが並んでいました。多くが中国人の思想犯です。抗日活動を行い、祖国のために尊い命を犠牲にした、というわけです。
広くて殺風景な庭もありました。隅の方に記念碑みたいなものがあって、書いてあるものを読みますと、そこの壁から脱出した囚人がいたとか。

処刑場もありました。付近からは人骨の入った木桶も発掘されたそうで、処刑された囚人を埋めたんだろうということです。

ずっしり重い内容の展示でしたが、見に来る価値の大きい所でした。
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