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2009年09月01日01:31

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中国東北・ハルピン4・中華バロック

さて、道台府から傅家甸(フージャデン)をめざします。
ハルピンの駅の北側は東西に分かれていて、西側が道里区、東側は道外区と言うことは書きました。道里区は中央大街を中心に西洋人がやってきて洋風建築をたくさん建てた地区です。それに対して道外区は中国人の居住区でした。この道外区の中心部は昔は傅家甸(フージャデン)と呼ばれました。ここに住み着いた中国人は、ハルピンに建てられた西洋建築を真似して洋風の建物を建てました。しかしそれが洋風建築の様式も工法もよくわからないまま見よう見まねで建てたものですから、一見西洋建築でいながら、なにやら珍妙な建物を建ててしまいました。こうしたヘンな洋風建築は「中華バロック」と呼ばれました。

その中華バロックを見るために傅家甸(フージャデン)地区へ行くことにしました。そこは靖宇街という東西に延びる道が中心になっているそうですので、まずそこへ行くことにしました。道台府は道外区でも東の方ですので、そこから靖宇街を目指すと東の端の方へたどり着きます。まず目に付いたのはモスクでした。壁が青く塗られています。ここは単に「清真寺」とだけ名前がついています。ここから靖宇街を進んでいくことにしました。
そうしたら、なにやらふる〜い洋風建築が見えてきました。窓はがたつき、壁も装飾もかなりはげています。しかもなんとなくヘン。中華バロックです。「おお〜!」と思って前方を見渡すと…道の両側がびっしり中華バロック!ずーっと中華バロック!えんえんと中華バロックです。しかも靖宇街を南北に横切る道がいくつかあるのですが、これらの道の両側もずっと中華バロックです。ひえ〜、すごい。こんなにすごいものがそっくり残っているとは…。
妙にゴてゴテした装飾がついてたり、窓枠やバルコニーの曲線が妙にうねってたり、窓枠にねじり棒をつけたり、三角ペディメントの上下に丸いアーチが付いてたり、オーダーの柱頭がアカンサスになりそこなったような中途半端な曲線だったり、中国伝統模様が付いてたり。なんだかヘンな洋風建築が次から次へと現れます。

しかも靖宇街はまだ表通りで商店や病院などで表面を塗りなおしてまずまずきれいにしているところも多いのですが、南北の通りを入ると廃屋なんじゃないかと思うぐらいボロボロの建物がたくさんあります。人通りはありますし、原色の看板が付いてたりカーテンがかかってたりしてますので使っているのは確かです。ボロボロで黒ずんだ建物はホラーのような雰囲気さえあります。しかも建物自体が妙ちきりんな中華バロックなものですから、ますます怪しげな雰囲気が漂います。

そういえば、私は「ヘンなもの」が好きでした。日本でも明治初期に西洋建築のことをよくわからないまま奇妙な建物を建ててしまったことがあります。それらは「擬洋風」と呼ばれましたが、そういった建物を見ると不思議な感覚にとらわれました。また、大阪にあるダイビルは直線ラインのモダンなビルですが、1階入り口付近の外壁がねじり柱や天使や唐草模様がうねる装飾になっていて、最初見たときは近代建築のことを何も知らなかったこともあって、直線的な外観とそぐわなくて、不思議で不思議で仕方がありませんでした。
それでそういうのをもっと見られたら…そういうのがもっとあったら…と思ってたら…。
ここにドカン!とあったのです。しかも過剰なぐらい盛りだくさんの珍妙な建物が。

「こういうものが見たかった!」
「私はこれを見るためにここに来たんだ!」
という強い思いがわきあがってきました。
こんなに思ったのは、初めての海外旅行で新疆ウイグル自治区へ行き、黄土色の大地がずーっと広がって砂埃でほこりっぽい空気の中に身を置いたとき以来です。その時も「私はこの風景を見るためにここに来たんだ」と思いました。

それにしてもなんでどれもこれもこんな不思議な建物を建てまくったのでしょうか。中国人なら中国風の住宅など建てても良さそうなものなのに。…と、思いましたが、住宅になっているような建物の側面を見ますと、建物本体は褐色や黒っぽい色のレンガ造りで、正面にバロック装飾に飾られた外壁を貼り付けています。中国の民家はレンガで作られることが多いです。ひょっとすると、レンガで普通の民家と同じように作った建物に、表に西洋風の装飾を付けようとした結果こうなってしまったのでしょうか。
そして中国では家の中では基本的に靴をはいて椅子・テーブルですから、中国建築と西洋建築の融合は、普通の民家でもやりやすかったのかもしれません。

さて、基本的に靖宇街をたどっているのですが、南北の通りに中華バロックが並んでいるのを見ると、ついフラフラと道をそれてどんどん進んでいってしまいます。そしてぐるーっと回ってもう一度靖宇街に戻り…ということを繰り返して、迷宮をさまよっているようにあちこち歩き倒し、フィルムはものすごい勢いでなくなっていきました。
どれだけ歩き倒したでしょうか。やっと靖宇街の西の端の景陽街に突き当たりました。そして突き当りには仕上げにこれまたヘンな建物が。

写真左がそれです。1929年に建てられた中央大劇院。その後映画館になり、今は演芸場のようです。

写真中は中華バロックの洪水の中の交通銀行ハルピン支店。1930年。古典的な意匠とモダンな直線デザインの折衷様式です。両側に獅子がいたり、柱頭がなんだか変わっていて、やはりれも中華バロックの仲間でしょうか。

写真右は「『満洲』都市物語」で紹介されていた天豊源雑貨店ですが、壁だけになって窓の向こうは空(そら)!になっててビックリしました。「保護建築」のプレートも貼ってあるのに、全然保護されていません。

「フォト」には中華バロックの建物の一部をUPしておきました。

そうして中央大街のモデルン・ホテルに帰ってきました。足がすっかりむくんでいました。
夕方になっていましたが、まだ日は完全には落ちてはいません。やっぱり中央大街の散歩です。あー、モデルン・ホテルに泊まれてよかった。
そうして、改めて中央大街を見回してみますと、これらの建物群が中華バロックのもとになったことが実感できました。といいますのは、中央大街の建物は20世紀前半の2〜30年の間に建てられたものが多いです。すでに述べましたように、世紀末のアール・ヌーヴォーがいつまでも生き残って建てられました。しかしここにはアール・ヌーヴォーだけではなく、ルネサンスやバロックなど過去の建築様式をいろいろ使っているのです。ヨーロッパですと、実際にルネサンスの時代、バロックの時代に建てられた建物があるわけですが、ここでは20世紀に過去の様式を模して建てたのです。ですから純粋に当時の様式とはいえない、真似をした建物なのです。
そして、そんな各時代の様式の建物がバラバラに作られて入り乱れて並んでいるのです。アール・ヌーヴォーのモデルン・ホテルの斜め向かいにバロックの旧松浦洋行が建っているとか。
つまり中央大街の建物は、実際に西洋人が建てたとはいえ、すでにここでごちゃごちゃまぜこぜ状態で並んでいるのです。
そして中央大街を横切る道にも西洋建築が並んでいますが、こちらも傅家甸(フージャデン)よりはお手本が近くにあるのでそこまでヘンではありませんが、やはり見よう見まねで作ったな、という感じの建物が多いです。
それに気が付くと、西洋建築が混沌状態で並んでいる中央大街もまた、私が見たい!と願っていたものにピッタリと当てはまるような気がしました。

そして電気店の人に教えてもらったレストランへ。中央大街にある「老昌春餅」というお店で、薄いクレープのような皮に具を包んで食べる料理のお店です。ただ、一人だとキツイですね。具が一種類しか頼めませんし、それでも量が多い。
それからデザートにモデルン・アイスを買って、なめながら散歩。やっぱり中央大街は人が多くてにぎやかです。モデルン・バルコニー・コンサートもやっていますし、ストリートミュージシャンもいます。
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