翌日は朝に北陵公園と瀋陽故宮ツアーです。日本で旅行社に申し込んでいたものです。参加は私一人。日本語の堪能な中国人ガイドが付きます。
北陵公園は、清朝第二代皇帝ホンタイジの陵墓、昭陵とその周辺を公園として整え、瀋陽市の北にあることから北陵公園と名づけられたものです。初代ヌルハチの陵墓も瀋陽郊外にあるのですが、遠いのであきらめました。
12〜13世紀に金王朝を立てた女真族は、モンゴルに滅ぼされた後現在の東北地方にいくつかの部族に分かれて住んでいました。その中のマンジュ部から出たヌルハチは苦難の末に女真族の再統一を果たします。そして部族名を「マンジュ(=満洲)」とし、晩年に瀋陽に都を置きました。その頃から中国にあった明を征服したいという願いを持っていましたが、果たせないまま亡くなり、二代目ホンタイジが後を継ぎます。このときに国号を「清」と改めました。結局三代目の順治帝の時に北京を陥落させ、中国を統一する王朝となります。
ですから初代のヌルハチと二代目のホンタイジの陵墓は瀋陽にありますが、順治帝以降の皇帝の陵墓は北京郊外にあります。清朝歴代の皇帝は瀋陽を父祖の地としてたびたび巡幸し墓参りをしたそうです。
北陵公園はだだっ広い公園です。
参道の両側に動物の石像が並んでいます。ずんぐりした馬は、ホンタイジの愛馬を模したものだそうです。
陵墓の正門、龍恩門はレンガ造りの門で、門の正面には満州語とモンゴル語と漢文が書かれています。その奥の建物のそのさらに奥にこんもりした土饅頭があって、そこにホンタイジと皇后が葬られているそうです。
ここで日本人の団体客とすれ違いました。ガイドさんに普通はああいう団体のガイドをするもので、一人というのは珍しいんじゃないですかと聞きました。そうしたら、確かに一人というのは少ないけど阪●トラ●●クスの仕事は請けないと言いました。確かに●急●●ピッ●●のバッジをつけていました。そこの旅行会社の日程はきつくて費用も安いのであまり受けたくないそうです。ツアー内容もお土産店に案内して時間を取るなど質も良くないそうです。でもそうやって費用を抑えているので、安いと思って参加する日本人が多いそうです。
そういえば、ウズベキスタンへ行ったときにやはり阪●トラ●●クスと遭遇し、空港の待ち時間に添乗員さんとこそっとお話をしたことがあります。添乗員というのは社員ではなく派遣で、ここの会社のツアーはきつくて安いと言っていました。
瀋陽のガイドさんが言うには、最近は添乗員すらケチって現地係員のみの対応にして費用を下げているそうです。JTBや近ツなどはきちんとした旅行会社なので信用できると言っていました。
しかしそうやって旅行代金を安く設定しているものですから、●急●●ピッ●●のツアーは多いそうです。不況日本ですからねえ。旅行業界は「悪貨が良貨を駆逐する」状態になっているようです。
結局この旅行で遭遇した日本人観光客はこの団体だけでした。ウズベキスタンでもあんなに遭遇したのに、偶然か、それとも本当に東北に来る日本人が少ないのか?
瀋陽故宮は瀋陽の街中にあります。三つの部分に分かれていて、東側がヌルハチの作った初期の部分、真ん中がホンタイジの作ったメインの部分、西側はその後行幸した皇帝によって作られたものです。
写真で見ていたときは満州族なのにずいぶん中国風の宮殿を作ったと思っていましたが、ガイドさんの説明を聞くと、漢族とは違う独特の様式だということがわかりました。
まずヌルハチの作った部分は中央奥に玉座のある八角形の建物、大盛殿があります。八角形というのは遊牧民・狩猟民のテントを模したものだということです。そういいえば中国の宮殿は四角いですね。さらに正面の柱に龍が巻きついています。中国では皇帝のものとに龍が降りてくるものですが、この龍は力強く上を向き前足(?)を伸ばしています。これは中国全土を統一する野望の実現を誓ったものです。
そして玉座の全面には両側に5つずつ建物が並んでいます。玉座に一番近い左右の建物は王族のいる場所。その後ろの4対8つの建物は満洲八旗の居所です。「八旗」というのは、満州族の狩猟の時の組織で、ヌルハチが軍隊として機動するよう改革したものです。
紅、藍、黄、白の四つの旗に縁のない「正旗(せいき)」と縁のついた「鑲旗(じょうき」に分かれ、合計8種類。各建物にはその旗や武器が展示されています。おかげで4つの色全部覚えられました。
清朝ではこの八旗に属する人を「旗人(きじん)」といいます。「旗人」は清朝では皇帝の側近として国を治める中心にいる人のことになり、「貴族」「特権階級」という意味を持つようになりました。さらに下って八旗制度が形だけのもになると、「旗人」は「漢人」に対して満州族を指す言葉にもなります。
瀋陽故宮の真ん中の部分はホンタイジの玉座のある「崇政殿」が中心になります。ヌルハチが作った東側に比べてずっと中国的です。
その後ろの鳳凰楼は3階建ての高い楼閣で、昔はここが瀋陽で一番高いところだったそうです。ここを登ると、ホンタイジの私生活の場になります。見たところ中国風の建物が並んでいますが、入り口が中央にないこと、入り口から見て左側にオンドルが回してあってその左奥にはシャーマニズムの名残の祭礼道具が置かれています。右側は寝室で、ここにホンタイジと皇后が暮らし、ホンタイジはここで亡くなったそうです。他の建物はホンタイジの2番目以下の后の宮殿です。
そこから下に降りると「御花園」という庭園になっています。そこから西に回ると、後に増築された部分です。書斎には「四庫全書」が納められており、やはり清朝皇帝にとってはここが重要な場所だったということが想像できます。
写真は左が北陵、中が大盛殿、右が御花園です。
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