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2019年07月15日00:01

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D&C128章

01 私が自分の居所を立ち去る前に、時々手紙を書いて多くの事項について貴方方に情報を提供すると述べたように、私は今、死者の為のバプテスマの件を再び採り上げます。敵に追われてからこの方、この事項が私の心を占め、私の気持ちに最も重くのしかかっているように思われるからです。
02 私は記録者について、幾つか啓示の言葉を貴方方に書きました。また、この件に関して更に幾つかの見解を持つようになりましたので、それを今明らかにしましょう。即ち、前の手紙で述べた通り、主の御前に正確に記録を残す為に、見証者となり、その耳で聞く記録者がいなければなりません。
03 さて、この件に関しては、一人の記録者がいつも立ち会って、全ての事務を行う事は非常に難しいでしょう。この難しさを取り除く為に、正確な記録を取るのに十分な資格のある記録者を、市の各区に一人ずつ任命する事ができます。その記録者は、極めて詳細かつ正確に全ての手続きの記録を取り、その目で見、その耳で聞いた事をその記録の中で証明し、日付や名前など、また行われた全ての事柄の経過をも記すようにします。更に、二人または三人の証人の口によって全ての言葉が確定されるように、誰か立ち会う人がいれば、その事柄を証明するよう求められる時にいつでもそれができる三人程の名前も記します。
04 次に、彼らの作成した記録が真実である事を証明する彼ら自身が署名した証明書と共に、これらの記録を手渡すことのできる、中央記録者がいなければなりません。次に、中央教会記録者は、この記録を、諸々の証明書ならびに立ち会っていた全ての証人名と共に、また、それらの記録者の大体の性格を知っている事と彼らが教会によって任命されているという事実からその声明と記録が真実であると確信しているという自らの声明書と共に、一般教会記録簿に入れる事ができます。これが一般教会記録簿に加えられると、あたかも彼がその目で見、その耳で聞き、一般教会記録簿にそれを記録したと同じように、この記録は神聖なものとなり、その儀式を有効とするのです。
05 貴方方はこの手順をとても細かいと思うかもしれません。しかし、貴方方に申し上げます。これは、福音を知らずに死ぬ者の救いの為に、主が創世の前に定めかつ備えられた儀式と備えに従う事によって、ひたすら神の御心に応じる為なのです。
06 更にまた、黙示者ヨハネが黙示録第二十章十二節にある通りに述べた時、彼は死者に関して正にこの件を考えていたという事を、貴方方は覚えておいて欲しいのです。「また私は、死者が小さな者も大いなる者も、神の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれ、またもう一つの書物も開かれた。それは命の書である。そして、死者はこれらの書物に書かれている事に基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。」
07 この引用文に見るとおり、数々の書物が開かれ、またもう一つの書物も開かれました。それは命の書でした。しかし、死者は数々の書物に書かれている事に基づき、彼らの行いに応じて裁かれました。したがって、ここで言われている数々の書物とは、彼らの行いの記録が載せられている書物の筈であり、地上で記される記録を指すに違いないのです。また、命の書であるとされた書は、天で記される記録です。この原則は、私が自分の居所を立ち去る前に貴方方に書いた手紙に載せられている啓示の中で貴方方に命じられた教義にかなっています。貴方方の記録する全ての事について、それが天でも記録される為なのです。
08 さて、この儀式の本質は、イエス・キリストの啓示による神権の力にあります。これによって、貴方方が地上で繋ぐ事は何でも天で繋がれ、貴方方が地上で解く事は何でも天で解かれるという事が認められるのです。言い換えれば、この翻訳について別の見方をすると、貴方方が地上で記録する事は何でも天で記録され、また貴方方が地上で記録しない事は天でも記録されないという事です。それは、貴方方の死者が、数々の書物に基づき、彼ら自身の行いに応じて裁かれるからです。即ち、彼らが自らその儀式を受けようと、或いは代理人の仲立ちによって、神が創世の前から彼らの救いの為に備えられた儀式に従って、その死者に関して記された記録の通りにその儀式を受けようと、それに応じて裁かれるのです。
09 私達が語っている事、即ち地上で記録し、即ち繋ぎ、かつ天でも繋ぐ力があるという事は、ある人々には、非常に大胆な教義であると思われるかもしれません。しかしながら、世のあらゆる時代において、主がある人に、或いはある人々の集団に、実際の啓示によって神権の施しを授けられた時はいつでも、この力が常に授けられてきたのです。したがって、何事であろうと、それらの人が権能によって、主の御名によってなし、正しくかつ忠実に行い、それについての適切かつ正確な記録を記した事は、大いなるエホバの定めによって地上でも天でも一つの律法となり、取り消せないものとなったのです。これは確かな言葉です。誰がそれを聞く事ができるでしょうか。
10 更にまた、その先例として、マタイによる福音書第十六章十八、十九節があります。「そこで、私も貴方に言う。貴方はペテロである。そして、私はこの岩の上に私の教会を建てよう。地獄の門もそれに打ち勝つ事はない。私は、貴方に天の王国の鍵を授けよう。そして、貴方が地上で繋ぐ事は何でも天で繋がれ、貴方が地上で解く事は何でも天で解かれるであろう。」
11 さて、この事柄全体の偉大かつ重要な真義と、私達の前にある事項全体の最高善は、聖なる神権の力を得る事にあるのです。これらの鍵を授けられる者にとって、人の子らの救い、即ち死者と生者の両方の救いに関して、数々の事実を知る事は少しも難しい事ではありません。
12 ここに、即ち水によるバプテスマの儀式、即ち死者の有様に応じる為に水に沈められる事に、栄光と誉れ、及び不死不滅と永遠の命があります。死者の有様にそって水中に沈められるのは、一つの原則が他の原則に一致する為です。水中に沈められ、そして水から出て来る事は、墓から出て来る死者の復活に似ています。したがって、この儀式は、死者の有様に似ているので、死者の為のバプテスマの儀式と関連するように制定されたのです。
13 その結果、バプテスマフォントは墓に似たものとして設けられ、生者がいつも集まる場所の下にあるようにと命じられました。それによって、生者と死者を表す為、また全ての事に類似するものがあるようにする為、またそれらが互いに一致する為、即ちコリント人への第一の手紙第十五章四十六、四十七、四十八節でパウロが述べているように、地に属するものが天に属するものに一致する為なのです。
14 「最初にあったのは、霊のものではなく、肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る主である。土に属する人々は、土に属する人のようであり、天に属する人々は、天に属する人のようである。」そして、天の記録は、正しく作られる貴方方の死者に関する地上の記録に似ています。したがって、これは結び固め、かつ、繋ぐ力であり、ある意味では、知識の鍵から成る王国の鍵なのです。
15 さて、私の親愛なる兄弟姉妹達、私は貴方方に断言します。これらは死者と生者に関する原則であり、私達の救いに関して軽々しく見過ごす事のできないものです。彼らの救いは私達の救いにとって必要であり、不可欠だからです。それは、パウロが先祖について、私達なしには彼らが完全な者とされる事はないと言っているように、私達の死者なしには、私達も完全な者とされる事はないのです。
16 さて、死者の為のバプテスマに関して、私はパウロのもう一つの言葉、即ちコリント人への第一の手紙第十五章二十九節を引用しましょう。「もし死者が決して蘇らないとすれば、死者の為にバプテスマを受ける人々は、何をするのだろうか。なぜ死者の為にバプテスマを受けるのか。」
17 更にまた、この引用文に関連して、一人の預言者の言葉を引用しましょう。彼は神権の回復と、終わりの時に示される栄光と、また特に永遠の福音に属する全ての事項の中で最も栄光あるこの事柄、即ち死者の為のバプテスマにその目を注いでいました。マラキは、その書の最後の章の第五節と六節で言っています。「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、私は預言者エリヤを貴方方に遣わす。彼は先祖の心を子孫に、子孫の心をその先祖に向けさせる。これは、私が来て、呪いをもって地を打つ事のないようにする為である。」
18 私はこれをもっと分かり易く翻訳する事もできましたが、このままでも十分に分かり易く、私の目的にかないます。この場合、先祖と子孫の間にある事項について固い繋がりがなければ、地は呪いをもって打たれるという事を知るだけで十分です。さて、その事項とは何でしょうか。それは死者の為のバプテスマです。彼らなしには私達が完全な者とされる事はなく、また私達なしには彼らが完全な者とされる事はないのです。また、福音にあって死んだ者なしには、彼らも私達も完全な者とされる事はありません。今や訪れようとしている時満ちる神権時代の到来に当たって、アダムの時代から現在に至るまでの、神権時代と鍵と力と栄光の全ての、悉くの、完全な和合と結合が起こり、示される事が必要だからです。またこれだけではなく、世の初めからまだ一度も示されておらず、知恵のある者や賢い者から隠されてきた数々の事柄も、この時満ちる神権時代には、みどりごや乳飲み子に示される事でしょう。
19 さて、私達の受けた福音について、何を聞くでしょうか。喜びの声です。天からの憐れみの声、地からの真理の声、死者の為の喜びの訪れ、生者と死者の為の喜びの声、胸躍る大いなる喜びの訪れ。善の喜びの訪れを伝え、シオンに向かって、「見よ、貴方の神が治めておられる」と言う者の足は、山の上にあって何と麗しい事でしょう。カルメルの露のように、神の知識が彼らに下る事でしょう。
20 更にまた、私達は何を聞くでしょうか。クモラからの喜びの訪れです。預言者達の預言の成就と、明らかにされる書について宣言する、天からの天使モロナイ。その書について証するように三人の証人に告げられた、セネカ郡フェイエットの荒れ野における主の声。悪魔が光の天使として現れた時にそれを暴いた、サスケハナ川の岸辺におけるミカエルの声。王国の鍵と時満ちる神権時代の鍵を持っていると自ら宣言した、サスケハナ川沿いのサスケハナ郡ハーモニーとブルーム郡コールズビルの間の荒れ野におけるペテロとヤコブとヨハネの声。
21 更にまた、セネカ郡フェイエットのホイットマー翁の部屋における、またこの末日聖徒イエス・キリスト教会の全ての旅と艱難を通じて、様々な時の、様々な場所における神の声。また、それぞれの神権時代と権利、鍵、誉れ、尊厳と栄光、神権の力について宣言し、またここにも少し、そこにも少しと、教えに教え、訓戒に訓戒を与え、また来るべき事柄を宣言する事によって私達に慰めを与え、私達の希望を確かなものとした、天使長ミカエルの声、ガブリエルと、ラファエルと、ミカエル即ちアダムから現在に至るまでの様々な天使達の声。
22 兄弟達よ、私達はこのような偉大な大義において前進しようではありませんか。退かずに前に進んで下さい。兄弟達よ、勇気を出して下さい。勝利に向かって進み、進んで下さい。心を喜び楽しませ、大いに喜んで下さい。地は声を放って歌いなさい。死者は、王なるインマヌエルに向かって永遠の賛美の歌を語り出しなさい。王なるインマヌエルは、私達が死者を獄から贖えるようにする方法を、世界が存在する前に定められました。獄にいる者達は解放されるのです。
23 山々は喜び呼ばわりなさい。全ての谷よ、声高らかに叫びなさい。全ての海と乾いた地よ、貴方方の永遠の王の驚異を告げなさい。川よ、小川よ、せせらぎよ、喜びをもって流れ下りなさい。森と、野の全ての木々は、主を褒め称えなさい。硬い岩よ、喜びの涙を流しなさい。太陽と月と夜明けの星は、共に歌いなさい。神の子らは皆、喜び呼ばわりなさい。永遠の創造物は、永久にいつまでも神の御名を讃えなさい。更にまた、私は申します。栄光と、救いと、誉れと、不死不滅と、永遠の命と、また王国と公国と力を私達の耳に宣言する天から聞こえる声は、何と栄えある事でしょう。
24 真に、主の大いなる日は近づいています。主の来られる日には、誰が堪えられるでしょう。主が御姿を現される時に、誰が立っていられるでしょう。主は精錬する者の火のようであり、布さらしの灰汁のようです。主は銀を精錬し清める者として座に着き、レビの子らを清め、金銀のように彼らを清めて、彼らが義をもって捧げ物を主に捧げられるようにされます。したがって、私達は教会として、また民として、また末日聖徒として、義をもって捧げ物を主に捧げましょう。また、主の聖なる神殿が完成する時、私達の死者の記録を載せた、そのまま受け入れるに値する書をそこに捧げましょう。
25 兄弟達よ、私はこの件についてたくさんの事を貴方方に申し上げたいと思いますが、今のところはこれで終わり、別の折にこの件を続ける事にします。いつものように、私は貴方方の卑しい僕であり、決して離れる事のない友人です。

ジョセフ・スミス
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