mixiユーザー(id:2230131)

2019年05月07日12:38

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The Next Day/David Bowie

 デヴィッド・ボウイが2013年にリリースした『ザ・ネクスト・デイ』は、10年のブランクを一切感じさせない、アグレッシブなロック・アルバムだった。

 先行シングル“Where Are We Now?”は弱々しいバラッドで健康状態が心配になってしまうような内容だったが(曲としては良い)、アルバム冒頭、まくしたてるような歌唱で息つく間も与えないタイトル・トラック“The Next Day”から始まり、“The Stars (Are Out Tonight)”ではかつてのグラム・ロック時代を回想しているかのようなダーク&グラマラスな魅力に溢れているし、「優しいメランコリア」とでも呼ぶべき“Valentine’s Day”の未だ衰えぬポップ職人ぶりには思わず目頭が熱くなる。

 これまでボウイの音楽にあった実験的な要素は皆無。これほどまでわかりやすいロック・アルバムは一枚としてリリースしてなかったのではないか?(ティン・マシーンはまだ聴けてないのであしからず…)。
 おそらく、自分の手駒の中から、もっとも得意なポイント、あるいは世間一般がボウイらしいと感じるコマーシャルなポイントのみ抽出し、ストレートに表現することに徹した結果なのだろう。結果として、往年のファンが聴いてもどこか懐かしさを感じ、また若々しく快活なサウンドのおかげで若いリスナーも入りやすい作品になった。

 かつては複数のペルソナを使い分けながら、アルバム毎に個別のキャラクターを器用に演じ分けてきたボウイにとって、「誰もが求めていた、活発でアグレッシブなボウイ」を演出してみせるなんて造作もないことなのだろう。
 実際のところ、「10年ぶりの復帰作」、「年齢を感じさせない若々しいロック・ミュージック」という本作に求められた期待に過不足なく応える、というミッションは完璧に達成している。本作で評価すべきなのはむしろ、そうしたボウイの自己プロデュース能力の高さ、演出力の高さ、ということに尽きるのではないか。

 音楽的な挑戦がないことを理由に、本作を否定することはたやすい。そう、いつものキテレツなボウイは本作では影を潜めている。だが、常に奇を衒ってきた男が、最後の力を振り絞り、そして少しばかりの諦念を胸に、みずからの表現欲求にストレートに従った本作の「王道感」を嫌いになれる者はいないだろう。僕は絶対に嫌いになれない。
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