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2008年06月08日21:23

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●うみうし独語(256)/■無窮の時間と私という現象

■無窮の時間と私という現象

 ●人類が地上に現れ、それから幾代もの父母たちが
  間違いなく暮らし、生きてきて
  いま、この私に脈々と連なっている時間。

  その時間の長さを思う。


  私には、よくわからないが
  時間とは、あるようであって
  ないようなもので、あるのは「今」だけであって
  過去の時間も、未来の時間も、
  すべての時間は「今」に詰め込まれているのかもしれない。

 
  時間には、ただ
  「これあれば、これあり。これなければ、これなし」
  という縁起の法に従う現象が生起しているばかり
  だけかもしれない。



 ●法華経の熱心な信者であった宮沢賢治は、
  詩集『春と修羅』の第一集の「序」に、次のような詩を書いている。


   わたしといふ現象は
   仮定された有機交流電灯の
   ひとつの青い照明です
   (あらゆる透明な幽霊の複合体)
   風景やみんなといっしょに
   せはしくせはしく明滅しながら
   いかにもたしかにともりつづける
   因果交流電灯の
   ひとつの青い照明です
   (ひかりはたもち その電灯は失はれ)

     (中略)

   これられについて人や銀河や修羅や海胆(うに)は
   宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
   それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
   それらも畢竟(ひっきょう)こころのひとつの風物です
   
   ただたしかに記録されたこれらのけしきは
   記録されたそのとほりのこのけしきで
   それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
   ある程度まではみんなに共通いたします
   (すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
    みんなのおのおののなかのすべてですから)



 ●たしかに、そのようにも思う。

  どこに座標軸をとるのか、その違いで
  見え方もあらわれ方も違う。


  
  時間は空間と交わって私の「今」を現象し、
  無数の「今」は、私にとっての空間となり、
  夜空の星々が、はるか昔の時間と姿を伝えるように
  無限の空間は無窮の時間に連なって
  ここで、かすかに瞬く「私」を現象しているかのようだ。



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