■中庸・保身
▼物の道理をわきまえ、極端に走らず、「中庸」という言葉が
ぴったりとするような人物に出会うことがある。
高見順は「作家であり、詩人でもある」が、一方、「詩人であり、
作家でもある」井上靖のほうは、そのような印象、つまり「中庸」の人
ように思われる。
井上靖の詩を読むと、詩のむこうの奥のほうに、ひとりの「中庸」を
感じさせる人物が立っており、そのまなざしを感じる。
青春の激しい感情や、命のほとばしりを感じさせる詩であっても、
どうしてか、平衡感覚を失わず、理性的である作者の眼を意識して
しまう。
▼「中庸」と、「まじめ」や「誠実」は、それぞれ別々の範疇のことがらであり、
「まじめ」で「誠実」ならば「中庸」であるかといえば、その両者には何の関係もない。
しかし、「中庸」なる人物には、どことなく「まじめ」で、「誠実」な雰囲気がある。
不真面目で不誠実な「中庸」の人物は想像しにくい。
▼したがって、「まじめ」や「誠実」は必ずしも「中庸」でないために、
あるとき、過激に走ることもある。 やけになることもある。
破滅的にさえなる。
▼東京府立第一中学(現、日比谷高校の前身)時代、「白樺派」に親しんだ高見順は、
有島武郎が大正十一年七月に、北海道の農場を小作人に無償で分与したことを
新聞で知ってからは、大杉栄やクロポトキンを読み始めた。
当時の言葉でいうと左傾する。
中学四年で受けた一高の入学試験は、もっぱら文学書・思想書にふけっていたので
合格しなかった。
翌大正十三年、高見順は第一高等学校・文科甲類に入学した。
▼順が一高に入学したころには、「白樺」の時代は終わり、プロレタリア文学と
新感覚派を唱える新しい文学運動がようやく盛んになってきた。
順は、級友とダダイズムの色濃い「廻転時代」という同人誌を発行し、
詩や散文を書いた。
また、「社会思想研究会」にも加入した。
順は、はじめて親元をはなれた。
学生はみな寮に入らねばならなかったので、彼も入寮し、うるさい母親から離れ、
自由となった。
しかし、一方で母親にすまないという気持ちもあった。
▼文学を論じ、社会思想を語り、順はルパシカなどを着込んで、
学友たちと酒を飲み、カェーに出入りした。
日々はダダの連続であった。
無軌道の標本みたいなもので、学校としても目に余るものが多かった。
仲間は退学させられたり、また自分から学校を出て行ったりして、
残るのは順、ひとりになってしまった。
順は酒を飲み、大声放吟もしたが、学則をおかしそうな危ない瀬戸際では
すばやく身をひいた。
逆境が教えた保身術である。
と同時に、母を嘆かせてはいけないという気持ちが絶えずあった。
■案内
・
日記「総目次」 −テーマ別−
・
「Home」&「更新記録」
ログインしてコメントを確認・投稿する