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2006年02月08日00:23

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●寄り道ついで (40)/■ヤバイ人(1)

■中庸・保身

 ▼物の道理をわきまえ、極端に走らず、「中庸」という言葉が
  ぴったりとするような人物に出会うことがある。
  
  高見順は「作家であり、詩人でもある」が、一方、「詩人であり、
  作家でもある」井上靖のほうは、そのような印象、つまり「中庸」の人
  ように思われる。

  井上靖の詩を読むと、詩のむこうの奥のほうに、ひとりの「中庸」を
  感じさせる人物が立っており、そのまなざしを感じる。

  青春の激しい感情や、命のほとばしりを感じさせる詩であっても、
  どうしてか、平衡感覚を失わず、理性的である作者の眼を意識して
  しまう。




 ▼「中庸」と、「まじめ」や「誠実」は、それぞれ別々の範疇のことがらであり、
  「まじめ」で「誠実」ならば「中庸」であるかといえば、その両者には何の関係もない。

  しかし、「中庸」なる人物には、どことなく「まじめ」で、「誠実」な雰囲気がある。
  不真面目で不誠実な「中庸」の人物は想像しにくい。


 ▼したがって、「まじめ」や「誠実」は必ずしも「中庸」でないために、
  あるとき、過激に走ることもある。 やけになることもある。
  破滅的にさえなる。



 ▼東京府立第一中学(現、日比谷高校の前身)時代、「白樺派」に親しんだ高見順は、
  有島武郎が大正十一年七月に、北海道の農場を小作人に無償で分与したことを
  新聞で知ってからは、大杉栄やクロポトキンを読み始めた。

  当時の言葉でいうと左傾する。

  中学四年で受けた一高の入学試験は、もっぱら文学書・思想書にふけっていたので
  合格しなかった。
  翌大正十三年、高見順は第一高等学校・文科甲類に入学した。


 ▼順が一高に入学したころには、「白樺」の時代は終わり、プロレタリア文学と
  新感覚派を唱える新しい文学運動がようやく盛んになってきた。

  順は、級友とダダイズムの色濃い「廻転時代」という同人誌を発行し、
  詩や散文を書いた。
  また、「社会思想研究会」にも加入した。

  順は、はじめて親元をはなれた。
  学生はみな寮に入らねばならなかったので、彼も入寮し、うるさい母親から離れ、
  自由となった。
  しかし、一方で母親にすまないという気持ちもあった。


 ▼文学を論じ、社会思想を語り、順はルパシカなどを着込んで、
  学友たちと酒を飲み、カェーに出入りした。

  日々はダダの連続であった。
  無軌道の標本みたいなもので、学校としても目に余るものが多かった。

  仲間は退学させられたり、また自分から学校を出て行ったりして、
  残るのは順、ひとりになってしまった。

  順は酒を飲み、大声放吟もしたが、学則をおかしそうな危ない瀬戸際では
  すばやく身をひいた。

  逆境が教えた保身術である。
  と同時に、母を嘆かせてはいけないという気持ちが絶えずあった。


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