■祖母・きしの
▼高見順は「わが胸の底のここには」の中で、母・古代(こよ)から
灸をすえられた思い出を、次のように書いている。
「後年、私が子の親に成っても、いい齢に無事達したとき、
幼時の私を知っている人に会うと、その人は言った。
「おとなしいというのか、我慢強いというのか・・・」
右の人差指のコの字に曲がる、字でいうと下の鍵の角の上に、
火のついたもぐさをちょこんと乗せて、そして幼い私は部屋の隅に
ちょこんと坐って、ゴメンナサイ、ゴメンナサイと言って泣いていたという。
大粒の涙をぽろぽろこぼしながら、小さな子供がおとなしく、お灸を据えられている。
――それには、その人も魂消たという。
ちょっと手をはらえば、もぐさはとれるのに、まるで「行」でもしているみたいに、
お灸が幼い皮膚をじりじり焼くのを我慢して、ただ言葉で、モウシマセンカラ、
ゴメンナサイと、母親の許しを願っている」
(「わが胸の底のここには」から)
▼「人差指のコの字に曲がる、字でいうと下の鍵の角の上」とは、
どこか、お分かりになるだろうか。
私は、すぐ分かった。
というのも、私も同じ場所に、祖母にすえられたお灸の痕があるからだ。
親指と人差指で「コ」か「つ」の字のような形をつくり、その二つの指の股になった、
親指寄りの場所がそれである。
私は右手にふたつ、左手にもふたつ、お灸、つまり「やいと」の痕が
小さく、薄く、いまも残っている。
▼私の祖母・きしのは、前に書いたとおり、6人の子を産み、
寡婦となってから女手ひとつで男4人(のちに一人は池で溺れて死んで3人になった)と
女2人の子を育てた。
私が祖母の家で生まれてからは、所帯はさらに増え、一時は、14人の大家族であった。
それを切り盛りする祖母は、気丈で、なんでもテキパキかたづけ、子や孫にも
そうした態度を要求した。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=32802111&owner_id=1040600
だから、子供も孫も、この祖母に大いに叱られ、厳しくしつけられた。
しかし、叔父たちを含め、いくら言っても、祖母の言いつけを守らない
腕白な子や孫は、箒で追い掛け回されたり、手足をしばられ、柱にくくりつけられて
「やいと」をすえられた。
▼3人の叔父と、私、そして2人の従兄弟は、みんな私と同じように、
親指と人差指の交わる付け根のところに、「やいと」の痕がある。
高見順よりも、「やいと」の数は私の方が多いように思う。
そして、もっと暴れたように思う。
たしか、柱を抱くようにして、両腕を柱にまわし、その両手首に手錠のように
縄をまき、手の自由を奪われて、灸をすえられたように思う。
「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」
「モウシマセンカラ、ゴメンナサイ」
いまでも聞こえてきそうな、泣きながら謝る幼い声は、
高見順も私も、いっしょだったように思う。
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