mixiユーザー(id:1040600)

2005年12月11日20:13

200 view

●そのとき、私は・・・( 3)/■友人・先輩

■下宿人

 ・「寮」には同じ大学の学生が10数名と、勤め人の所帯が
  2世帯、単身者の女性1名、それにこの「寮」をはじめた
  「鈴木家」のおじいちゃんが寝る「居間」と、賄(まかない)を
  やってくれてる鈴木家の嫁に当たる人の姉さんが、ひとつ部屋を
  使っていたように思う。

 ・鈴木のおじいちゃんは退職後、山陽電鉄の株を購入して
  その儲けで、当時はまだ私たちの大学と隣の「星陵高校」しか
  なかった頃、この「高丸陸(たかまるくが)」の土地を買い、
  「驍将寮」を建てたらしい。「鈴木家」の本宅は「寮」の隣にあり、
  婿さんは、関西棋院の棋士だった。


 ・私の部屋は崖側で、部屋の窓近くまで迫った崖の斜面に松の林が
  あった。
  ベニヤのドアを開けると右に間口一間の押入れがあり、茶色に
  焼けた畳がままごとの部屋のようにあるばかりで、他には
  何もなかった。

 ・廊下を挟んで、私の向かいの部屋には「西村さん」が住んでいた。
  一年たって、西村さんが卒業したとき、私は西村さんから机を
  もらった。

 ・阪急百貨店に就職した「西村さん」のほかに、先輩には、
  椿本興業に就職した「木村さん」や、一年上の水泳部の「竹中さん」、
  同じく一年上の「横井さん」、二年上の「愛須さん」などが
  いた。

 ・みな、思い思いに暮らしていた。夜は遅くまで、友達の部屋で
  ダベったりした。同じ学年には、淡路出身の「吉田欣一」と、
  山口出身で死んだオヤジが税理士をやっていたという「清水芳信」や、
  佐賀の寺の息子、「塚本洋」がいた。

  同学年の私たち四人は仲がよかった。それぞれの部屋に行ったり
  来たりした。ときどきは、喋りながら、ひとつ布団で寝たことも
  あった。

 ・互いに高校時代の卒業アルバムをもちより、どの娘が可愛い
  などといって、自分の好みや「品定め」をして笑いあった。

  私の卒業写真の中から「美人」を選んで、吉田と清水は「ラブレター」を
  送った。吉田か清水か、どちらか忘れたが、たしか、一二回、
  送ったその相手から返事が来て、小躍りして喜んでいた。


 ・それにしても、私たちは何を語りあったのだろう。そのほとんどは
  忘れてしまった。
  いまの勉学が面白くないことや、自分の将来について、ぼんやりとした
  「夢」を語り、旅行の話や宇宙の話など、したように思う。


  いつか坊主になることが決まっていた塚本を除けば、私も
  吉田も清水も、何をし働き食っていくのか、不安だけがあった。


■案内
 ・日記「総目次」
 ・「Home」&「更新記録」

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する