■「台所」
・あれは、東京へ行く前の小学1年・2学期ころではないかと思う。
淡路の中津浦に住んでいた頃で、そこで私は「本」を読んだ記憶が
ある。
この「本」も買ってもらったもので、父が湊(みなと)の「大正屋」で
買ってきたようだ。
・中津浦の家は、台所が板の間で、座るとひんやり冷たかった。
たしか、板の間で読んだようだ。おそらく、この「本」を何回か
読んだはずだから、ほかの部屋でも読んでいるのだが、どうしてか、
板の間で読んだ「記憶」が残っている。
・ひんやりとした板の間の感覚が、今も「本」の記憶とともに蘇ってくる。
・でも、なぜ台所で読んでいたのだろう。ひょっとすると、母に、
ちゃんと読めることを示すために声を出して読んでいたのかも
知れない。
■堅牢な厚手の表紙
・「本」のタイトルは「七つの宝石」。「七つ」ではなく、「五つ」だった
かも知れない。表紙と見開きに、箱に入った宝石の絵が描かれていた。
宝石はその数だけ入っていた。
・堅牢な厚手の表紙には、宝石箱に入った宝石の絵のほかに余分な
装飾は一切なく、「本」を開かなければ、それが何の「本」であるか
わからない「無口な本」だった。「ぶんぶく茶釜」や「舌切り雀」の
絵本とは明らかにちがっていた。
・「本」を開くと、その「七つ」か「五つ」、宝石の数だけ「話」が
載っていた。一話に、一枚の絵が、片側の或る一頁に描かれ、
あとは全部文字が並んでいた。
■「情けは人のためならず」
・「話」はみんな外国の話だった。
たとえば、ある冬の朝早く、湖畔のほとりに住んでいる老人が
窓を開けると、対岸からこちらに向かって馬でやって来る青年が
見える。湖畔の道は細くところどころ道が崩れていて、
馬で駆けてる青年の方を見やりながら、老人は心配する。
落馬せねばいいがと。そう思って見ている矢先、馬は何かに
つまずいて、青年は馬もろとも湖に落ちる。
運悪く、ちょうど崖になっているところで、岸に這い上がろうと
しても上がれない。馬はもがくし、青年はいまにも溺れそうである。
老人は、ロープを用意し急いで、そこまで駆けつける。
ロープの端を木にくくりつけ、もう一方を自分にしばり、
老人は湖に飛び込む。冬の湖の水は冷たい。
必死で泳ぎ、老人は青年を抱きかかえ岸に上げる。
そして、青年の顔を見て老人は驚く。それは、数年前、
兵隊にとられ出て行った息子ではないか。老人はわが子を
抱きかかえ、涙ながらに言う。
「情けは人のためならず」
と。
・細部はもう覚えていないので、記憶を補いつつ書いたが、
大筋はこんな「話」であった。
この話はロシアの話のようであった。
・また、ほかにはアラブの話で、圧政に苦しむ農民の一家が村を捨てて、
他の土地に逃げ出す話があった。
関所で、ロバに積んだ荷籠に隠れていた少年は、兵士が中身を
点検するために籠に剣を突き刺したが、じっとこらえて泣かなかった。
・また、フランスの話で、修学旅行に行く子供たちの中に
貧しい子がいて、その子に見ず知らずのおばさんが旅行に
もっていくものを買ってあげる、
というような「話」が載っていた。
■「残された宝石」
・あとはもう覚えていないが、きっとほかの「話」も、幼い読者に
なんらかの「教訓」を与えるものであったろう。
・私は、ストーリーの細部をほとんど忘れ、失ってしまった。
しかし、それが「教訓」であり「宝石」として呈示されていたことを
思い出す。
私が覚えているのは「三話」であるが、何を作者は子供に伝えようと
していたか、それをはっきり覚えている。
・ロシアの話は、「博愛」あるいは「情けは人のためならず」
アラブの話は、「勇気」あるいは「忍耐」。
フランスの話は、「隣人愛」あるいは「小さな思いやり」
・いくつかの「宝石」は失ってしまったが、読後50年、三つの
「宝石」は私に残された。
■この話題「まえ」を読む
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■前号(ひと足お先に「9月」)
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