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2024年04月28日05:11

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イザヤ22:12-13

【イザヤ22:12-13 泣き悲しめという呼びかけ】
イザヤがここで使っている表現は,明らかに,大いなる悲しみと苦しみのしるしである。かぶろにする(自然にはげることではなく,頭髪をそり落とす)ことは大きな恥であったし,大きな災難という意味もあった(イザヤ3:24と比較)。主はここで,ユダは裁きが迫っていることに気づいたら,それは心から悔い改めよとの呼びかけとして受け止め,荒布をまとって頭をかぶるにすべきではなかったかと言われているのである。ところが反対に,まるで楽しい祝宴に招待されてでもいるかのような気になって世の中に合わせ,「われわれは食い,かつ飲もう,明日は死ぬのだから」(イザヤ22:13)と繰り返し歌っていたのである。危機的な状況に陥ったときの邪悪な人々の常として,彼らは悔い改めよりも,欲望の充足の方を選ぶのである(17-19節参照)。
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