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2024年04月11日18:46

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ストロング小林さん追悼(653)

キース&ブレットのハート兄弟はダイナマイト・キッドに続くスチュ・ハート主宰のカナダ・カルガリーのスタンビート・レスリングからの提携に基づきブッキングされました。

兄キースは78年9月、国際プロレスの「ダイナマイト・シリーズ」に初来日した時をテレビで見ましたがほとんど変わっておらず、試合巧者ではありますが地味で目立たぬ存在。

7月17日、蔵前国技館で藤波辰巳のWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦しましたが、手負いの藤波にあっさりフォール負けしいいところなし。しかしハート兄弟としてはゲームメーカーとして若いブレットを巧みにリードして絶妙な動きを見せていました。

キース以前には74年9月、スチュ長男のスミス・ハート(2017年7月2日、68歳で死去)が国際プロレスに外国人留学生として来日していますが、「スーパー・ワイド・シリーズ」と11月の「ワールド・チャンピオン・シリーズ」の2シリーズに出ただけで帰国、その後プロレス界からは離れています。

スミスとキースの間に次男ブルース・ハートがいますがブルースはこれより3年後の83年8月「ブラディ・ファイト・シリーズ」に初来日しますが、ブルースも大成はしませんでした。

ブレットは初来日当時22歳で来日中の7月2日に23歳の誕生日を迎えていますが、長身で手足が長くバランスの取れた体型でイケメン、キースより上のポジションにいってしまうことは予測できました。

ジョニー・マンテルが途中帰国となり、シリーズ終盤の7月23日、北九州市西日本総合展示場で木村健吾と藤波が返上したNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座決定戦に抜擢され敗れはしましたが高い評価を受けています。

88年1月にオーエン・ハートが初来日するまではブレット単独で新日本プロレスにレギュラーで呼ばれており、新日本プロレス側の期待が大きかったと言えます。WWFスーパースターとなってからの決め技、シャープシューターの元祖とも言える長州力とのシングルマッチも実現し、得るものは大きかったのではないでしょうか。

ゲシュタポは前77年4月、国際プロレスの「ダイナマイト・シリーズ」に初来日したリック・オリバーの変身、素顔時代に対戦した剛竜馬とも対戦しました。

6月25日、函館市民体育館ではバッドニュース・アレンと組んで坂口征二&長州組の保持する北米タッグ王座に挑戦、長州のカナディアン・バックブリーカーにギブアップ負けしています。その後は下り坂になってしまい、後半戦は負けが込み、永源遙、藤原喜明にもシングルで敗退しています。

シリーズ全体としてはWWFカラーのないシリーズで少し前の新日本プロレスに戻った印象でしたが、地方は比較的好調だったものの7月2日札幌中島体育センターが4,600人発表、7月17日蔵前国技館が8,000人発表と満員にはならず、観客動員は苦戦しました。

賭けられたベルトはNWFヘビー級王座からUWA世界ヘビー級王座に代わり、蔵前のメインでは前79年10月4日、ランバージャックスタイルのオイルデスマッチで対戦して以来10か月間隔で行われた猪木vsタイガー・ジェット・シンの一戦も満員とは成らず、藤波が出場するかどうか当日までわからなかったのも影響したかと思います。

藤波の挑戦者がキースというのもカード的には弱かったでしょう。

ストロング小林は今シリーズ中の6月29日、国際プロレス、後楽園ホールのリングで永源遙と組んでマイティ井上&寺西勇組とIWA世界タッグ王座決定戦に出場、2−1で勝ち王座を獲得しました。

S小林の国際プロレス退団時の会社の窮状からS小林と新日本プロレスに対して日頃から不快感をあらわにしていたM井上は激しい当たりでS小林にぶつかっていきました。

S小林は性格が大人しくスロースターであり、相手にやられないと力を出さない一面がありますが1本目をM井上のフライング・ショルダータックルとサマーソルト・ドロップで取られた後、2本目、M井上に見せたブレーンバスターの威力は体格差、パワーの差を歴然と感じさせました。

7月15日、富士市民体育館で反則負けでベルトを奪回された試合もどちらも終わり方は不透明決着でしたが、S小林が力が衰えたような感じはなかったです。

このシリーズはシン、上田に一本負けもなく、アンダーカードに甘んじることもありましたが近年では久しぶりに負けがなく、「第3回MSGシリーズ」での好調ぶりを維持しました。
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