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2019年10月20日19:52

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小説『ダブルカップルの本音と関係性』エピローグ「そして彼、彼女らの相棒」

「まあ…いいんじゃないか?」

 何度目かの録音を終わらせて装置のスイッチを切る。

 一度は頭に血が昇ったが、やはり何度か合わせていくうちに冷静になってくる。

 それは感情だけではなくて、なんというかリズムや音程というか自分の想像していたメロディーに少しずつ重なっていくような感じだ。

 普段味わうことの無い心地よさだ。

「いや、もう少しだけやりたい」

「おいおい、もう十分だろう。これ以上歌い続けてたら喉を痛めるぞ…それに…」

 チラリと善之が横の壁を見る。 

 幸い、この時間帯はお隣さんは仕事で出かけているので構わないが、そろそろ返ってくる時間も近づいてきているのだ。
 
「なんかあったのか?」

「…別に」

 素っ気無く答えるが、チラチラと善之の方を見ている。

 いや、それは何かありましたって言ってるだろう。

 そういえばこの女はこういう人間だったなとあらためて思い出した。

 はじめて会ったときから遠慮がなくて、傍若無人で、それなのに妙に悲しげな声でいるのにしなやかに歌うという不思議な少女だった。

 それに魅了された。 当時の自分が組んでいたバンドに限界を感じていた自分にあっさりと次の道を見せてくれた。

 とはいえ、魅了されたのはあくまで歌い手としての才能だけだ。

 実際に付き合ってみれば何とも付き合い難い人柄ではあったが、それでも不意に、例えばこんなときにまだまだ高校生くらいの子供だったなと気づかされることがある。

 しゃあねえ、大人として俺が接してやるとするか。

「少し休憩がてら、話でもしようや。俺も早いとこ終わらせないと依子と約束があるからな」

 ふっと美音が見る。

「あんたも約束があったの?」

「あん?ああ、お前もそうなんだろう?孝雄が俺の家に来る時点でそうだろうなとは思ってたけどさ」

「…まあ、ね」

「なら尚更、早く終わらせないとだろう?最近約束守れてないからいい加減、フォローしないとまずいんだよ」

「…それは…私だって」
 
 唇を尖らせながらも煮え切らない。 その姿を見て、『なかなか録音を終わらせないのはこれか』とピンときた。

「なんだ、喧嘩でもしたのか?いやそんな感じでもなかったな」

 さて、どうやってこの捻じ曲がった女に白状させるか?

 優しげな言葉の裏で大人としてのずるさを隠しながら思案していると、

「ね、ねえ…変なこと聞くけど、いい?」

「あん?まあ聞いてみろよ」

「そ、そのチュ、チューってどんな感じ?」

「はぁ? ……ああ、そういうことか」

 思わず頬が緩む。 ニンマリと。

 普段ならばそんな顔をすれば近くにある物を片っ端からぶつけるであろう少女は何も言わずこちらに背中を向けている。

 だが、先程聞いた言葉が空耳ではないことが彼女のジンワリと赤くなる耳たぶが証明している。

「付き合ってもう一年近いか?和雄もずいぶん我慢したよな?そうかそうか、いよいよ今日ね〜」

「べ、別に…そう約束したわけじゃ…」

「でもお前さんはそれを理解してるわけなんだろ?」

「……うるさい」

 ますます真っ赤になる耳元を隠すように身体を縮こませるその仕草が普段の凶暴さとは反比例していて微笑ましい。

『普段からこれの半分くらい大人しければな〜』   

 さすがにこれ以上からかってしまえば完全にへそを曲げるだろうからな。

 そっと立ち上がる。 そして少女の横に座り込む。

 気配を察してビクリと反応する彼女の頭に手を乗せる。 優しく。
 
「まあ、あいつも十分我慢しただろうし、お前もそんなに嫌なわけじゃないんだろ?大したことなんかねえよ、よほどじゃなければ誰もが一度は通るもんだ」

 いまだにぽってりと火照る頬をした美音が腕の隙間からこちらを覗き込んでくる。

「……そういうもん?」

「ああそういうもんだ。何も怖がることなんかねえ、もう少し立てば甘酸っぱい良い思い出になるよ…それに」

「…そ、それに?」

「いい加減ヤラしてやらねえと和雄が可哀想だろ?」

 精一杯にいやらしい笑みを浮かべた言葉を美音は一瞬理解しかねたが、すぐにその意味を察して今日一番に顔を赤らめて、弾かれるように立ち上がった。

「ば、馬鹿じゃないの!そ、そこまでするわけないでしょう!」

 羞恥によって恥じらいをかなぐり捨てた少女が食ってかかるが、

「う〜ん?キスするんだろう?何を想像したんだ?」

「うっ…あっ…し、ししっしし死ねーーーーー!」

 したたかな右ストレートが正確に善之の顎を打ち抜く。

「痛ってーー!女が拳で殴るかね、普通」

「あっ、あんたがやらしいこと言うからでしょ!」

「うーん?だってチューするだけなんだろう?」

 懲りずに唇を尖らして挑発をすれば、少女はますます顔どころか全身を紅潮させてまた無言で今度は左でパンチを繰り出してきた。

「おっと…二度目はくらわね…イギャッ!」

 空ぶった勢いを利用して右足で善之の股間を蹴り上げる。 さすがにこれは予想外だったらしく、許しを乞うようにその場で悶絶する。

「お、おまえ…それは…男には…やっちゃいけない…ことだ…ろ」

「あん?なんか言った?」

 座った目と低い声で睨みつける。

 や、やばい…これ以上は。 さらなる追撃を予測して男はあっさりと降伏した。

「も、もうしわけ…ありませんでした」

「わかればいいのよ…」

 途端、善之の携帯が震えた。 メールが届いたようだ。

 這い蹲るように画面を開いた善之が『おっ』と声をあげる。

「どうしたの?」

 問いかける少女にいまだ禁断の痛みに悩まされながら涙目で振り返る。

「依子達、戻ってくるってよ」

「あらそう、それじゃ最後にもう一回歌撮りするわよ」

 いまだに立ち上がることの出来ぬ男を見下ろしながらマイクの前へと歩む。

「お、おまえ…本当に可愛く…ねえ…な」

 それでもゆっくりと機材の前へと四つんばいで向かう。

 少女は勝ち誇ったように、また平素と変わらない顔で、

「あんたはただの相棒、可愛い恋人なんか欲しくないでしょ?」
 
 その悪びれない表情を見上げながら、

「……そりゃそうだ。まったくおまえは本当に最高の相棒だよ」

 僅かな沈黙の後に視線を交錯しながら二人は静かに頷く。

 それは当たり前のことなのだと互いに確認するように。

「それじゃ今度こそ正真正銘、最後だ、気合入れて歌えや」

「当たり前でしょ?誰に言ってんのよ?」

 遠慮も無く、傷付けあうこともいとわず、そして恋慕を抱くことも無い二人が奏でる歌は1DKの部屋に静かに響いていった。



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